相澤孝夫(病院理事長)の経歴や大学と家族は?年収や小平奈緒との関係は?

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小平奈緒選手を支えた
相澤病院理事長の相澤孝夫氏が、
カンブリア宮殿に出演!

小平奈緒選手が所属先が見つからずに、
困っていたところ、
地元の選手を応援しようと、

相澤病院の相澤孝夫理事長が所属先として
名乗りを上げたのは素敵な話ですよね。

そして、

赤字だった相澤病院でしたが、
相澤孝夫氏によって、
今ではエクセレント病院と呼ばれ、
高い評価をうける病院になっています!

基本理念を
「24時間365日、どんな患者でも受け入れる」

とする相澤病院の相澤孝夫理事長の
経歴やご家族と、小平奈緒選手との出会い
について追ってみました!

相澤孝夫氏の年齢や出身などのプロフィールは?

名前:相澤孝夫(あいざわ たかお)
生年:1947年
年齢:70歳
出身:長野県松本市
高校:長野県立松本深志高校
大学:東京慈恵会医大
専門:消化器内科

相澤孝夫氏は、
社会医療法人財団慈泉会相澤病院の
理事長を務めていらっしゃいます。

相澤病院といえば、
スピードスケートの小平奈緒選手が所属して
いるとして話題になりましたね。

また、
小説「神様のカルテ」を執筆した夏川草介氏が
相澤病院に勤務していたことがあり、
小説もこの病院をモデルとして
描かれているといわれています。

相澤孝夫氏の経歴は?

1973年
東京慈恵会医科大学卒業

1973年
信州大学医学部附属病院勤務

1981年
特定医療法人慈泉会相澤病院
副院長就任

1988年
社会福祉法人恵清会 理事長就任

1994年
社会医療法人慈泉会相澤病院
理事長・院長就任

2008年
社会医療法人財団慈泉会相澤病院
理事長・院長就任

たくさんの資格を取得され、
また、学会にも所属されています。

日本消化器病学会指導医・専門医
日本臨床高気圧酸素・潜水医学会専門医
人間ドック認定医
長野県透析医会会長
全国病院経営管理学会会長
日本透析医会理事
地域再生医福食農連携推進支援機構理事長

など。

相澤病院は日本で6番目、甲信越地方では
初の「JCI」(世界各国の医療機関を評価する機構)
の認定を受けています。

また、地域包括ケアシステムの中心地として
2016年2月に相澤東病院を開設。
サービス付き高齢者住宅などの
幅広い地域支援も行なっています。

今では、エクセレント病院と呼ばれ、
高い評価をうける病院となった相澤病院ですが、
かつては6年連続で赤字でした。

経営困難な中、その手腕によって、
地域からの信頼を勝ち取り、
地域に必要とされる病院に生まれ変わらせた
相澤相澤孝夫氏はどんな人物なのでしょうか?

相澤孝夫氏の生い立ちは?

長野県松本市の相澤病院は、

明治41年に相澤孝夫氏の祖父の曽兵衛氏が開設し、
相澤孝夫氏が小学生だった
昭和32年に父、正樹氏が院長を継いだ
歴史ある病院です。

相澤孝夫氏は、物心ついたときから
周囲の人は相澤病院の息子だと知っており、
将来は相澤病院を継ぐのだろうという期待をしていると
察知しており、

誰に言われるでもなく、
何となく医師になって父の後を継ぐんだろう
と思っていました。

思春期になると、
親の敷いたレールに乗りたくないと、
思った時期もありましたが、

運命の流れに無理に逆らっちゃいけないと思い、
県立松本深志高校から父の正樹氏と同じ
東京慈恵会医大へ進学されています。

当時は出身大学の医局でしばらく勉強してから
地元に戻るのが普通だったのですが、
父の正樹さんが体を壊したことをきっかけに、
地元の長野県松本市に帰り、

信州大の第二内科に入局。
信州大では医局に研究班をつくり、
国の研究費をもらって腎臓病の研究に没頭。

ところが、
父・正樹さんに、進行がんが見つかって、
余命2・3か月と言われて研究をやめて
相澤病院に就職。

研究を主にされてきた相澤孝夫氏は、
病院のマネジメントをやったことが無かったので、
父親の後を継ぐのは大変だったと言います。

相澤孝夫氏はこの時34歳で、
父親の弟である叔父が院長、
相澤孝夫氏は副院長として、病院を切り盛りされていました。

亡き父の正樹さんは、
「患者さんが困っているんだから
診に行くのは当たり前だろう」という考えだったので、

相澤孝夫氏も往診をされていたそうです。
家庭の事情や人間関係を実際に見て
初めて分かることがたくさんあり、

このとき教えられたことが、
在宅医療に力を入れる
今の相澤病院の基盤になっているそうです。

相澤孝夫氏の経営方針や手腕は?

昭和から平成にかけて、
診療報酬(医療機関に支払われる治療費)は
改定ごとに右肩上がりだったので、
病院はただ同じことをやっていれば収益が上がっていましたが、

平成2年、
相沢病院は初めて赤字に転落。
バブル崩壊で赤字はさらに拡大し、
経営が困難な状況に。

経営が悪くなってくると職員の意欲も下がり、
看護師が大量に離職し、病棟1つを完全に閉鎖
せざるを得ない状況に。

経営しなければ皆の給料を払えないので、
内科の責任者だった相澤孝夫氏は、
内科病棟を閉鎖します。
この時看護師たちは、泣いていたそうです。

病院の効率も風通しも悪く、
皆、向いている方向が違うので、
「何とかしなきゃいけない」と思い、

泊まりこみで経営の勉強をする講座に行き、
そこで、人はどうやったら動くのか、
リーダーシップを発揮するにはどうしたら
良いのかを学んだ相澤孝夫氏。

相澤孝夫氏は、
開業医に紹介された患者さんを入院させて治療し、
地域にお返しする、「病診連携」という方法が、
今後のトレンドを考えたとき良いとの考えでした。

外来から入院まで全てやるのでなく、
外来はできるだけ小さくていいと思ったので、
入院病棟の環境を良くする改革を始めます。

しかし、院内には外来の患者をたくさん診て、
そこから入院患者を拾うべきだという声も多く、
叔父の院長と副院長であった相澤孝夫氏とで
経営方針に食い違いが出てきます。

しかし、
改革への支持は徐々に広がり、
叔父の前田恒雄院長は名誉院長に退いて、
1994年、ついに慈泉会理事長と相沢病院院長に就任

叔父には、
「恩を感じないやつだ」
「叔父さんを追い出した」

とも言われましたが、
職員にやりがいをもって働いてもらうことを
優先にした結果、
相澤孝夫氏が院長に選出されています。

相澤孝夫氏は、

父は、病院は入院患者と救急患者を
診るところだと言っていました。

医師がいないのに救急を断らないため、
父は病院に泊まり込み、
ほとんど家に帰ってこなかった。

自分の具合が悪いときも、
病室から白衣を着て患者さんの診察や
回診に行っていたんです。

父がやりたかった救急医療を、
僕も大事にしたいと思っていました。
https://www.sankei.com/life/news/180329/lif1803290002-n1.html

こういった思いから、
「24時間365日対応」
を目標の掲げ、玄関に掲示しています。

当初は反発もありましたが、

相澤孝夫氏は、
〈毎年、正月にその年の全体方針を示し、
各部門でそれに沿った計画を立ててもらう。
役職者とは面接もして、人事査定も行う〉

という普通の企業に近いマネジメント体制を整え、
新しい人事制度を作り、目標を共有することから始めました。

方針を共有することにより、
反発する声を吸収し、
救急の体制づくりができていったといいます。

1994年に24時間365日対応することを
前提とした救急外来を立ち上げ、
この地域の急性期医療の担い手として24時間365日、
断らない救急体制を目指した結果、

相澤病院は2005年4月、
新型救命救急センターの指定を受けています。

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当時、

中信地域の救命救急センターを、
同じ松本市にある信州大付属病院にするか
相澤病院にするかでもめており、

「大学が救命救急センターじゃないのに、
なぜ医療法人が」という意見も多く、
「相澤病院に救命救急センターを取らせない会」
まで立ち上がったそうです。

「相沢病院で誤診された」
「あんな病院をセンターにしちゃだめだ」と、
広い講堂でつるし上げに遭ったりもしましたが、

正しい事を地道にやってきた相澤病院が
救命救急センターの指定をうけました。

父の想いをしっかりと受け継ぎ、
反発があっても、患者や地域の為になる
一番の方法を模索してきた中で掲げた

「24時間365日対応」という
信念を貫いた相澤孝夫氏。
素晴らしいですね。

現在、
相澤病院には2つの流れがあり、
往診や訪問介護、訪問看護などの
地元に密着した医療と、救急医療です。

救急をやるとどんどん医療が高度化していき、
患者さんも遠くからいらっしゃるようになるとのこと。

同じ医療でも、置いている基盤が違うので、
この状況に対応しようと、
急性期医療と在宅医療の橋渡しを行う地元密着型の
相沢東病院を2年前に開設。

一方で、相澤病院にはどんどん機械をそろえ、
専門の先生に来てもらって、
高度急性期を専門に見ているそうです。

働く人もその職務に特化した働き方が出来るので、
働きやすいようですね。

往診や介護で病院から外へ向かっていくことと、
最新の高度医療で遠方からも患者が来ること、

さらに職員が働きやすい環境であることで、
相澤病院は発展していったのでしょう。

病院祭は毎年開催し、
地域との繫がりを大事にされている素敵な病院です。

http://www.naganonirin.com/home/etc/aizawa

相澤孝夫氏と小平奈緒選手の出会いとは?

平昌オリンピックの
スピードスケート女子500mで金メダルを獲得し、
日本中をわかせた小平奈緒選手。

ただ彼女の所属が「相澤病院」と紹介されるたびに
「あれ?」と不思議に思っていました。

スポーツ選手の所属先と言えば、
広告塔の役割を期待する食品会社や、
アパレル、スポーツメーカーが一般的で、

所属先=スポンサーだと思っていました。

なのでなぜ必ずしも経営のメリットになるとも思えない
病院がスケート選手への支援を決めたのかが
不思議だったんです。

調べてみると、
小平選手は、信州大学4年生の時、
実は一度他の企業に内定が決まっていたのですが、
リーマンショックの影響で
3月に急に内定を取り消されてしまったそうです。

小平選手は大学時代に二人三脚で歩んできた
結城匡啓コーチの指導を受けたいということで、
地元の長野で就職活動されていましたが、

なかなか受け入れ先が見つからなかったので、
相澤病院に相談に来たようです。

小平選手ほどの才能と将来性のある若者が、
一生懸命にスケートを極めようとしているのに、
地元に応援する会社がないなんておかしいと思ったことや、

小さい頃から
「医療は利益を上げるためのものではない」
「もし、収益が上がったら、それは人のために使いなさい」と
強く父から言われていた相澤孝夫氏は、

頑張っている若者を地元で支えるのは当然として、
小平選手を受け入れたそうです。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54803

相澤孝夫氏が小平選手を支える理由は
これだけではなく、
経歴にもあったように、
相澤孝夫氏も小平選手と同じように
夢を断念せざるをえない状況に追い込まれた経験があったからです。

研究に没頭していたところ、
父の病気で夢も半ばに地元に戻らなくてはならなかったので、
当時の自分と小平奈緒選手とを重ねてみていたのだそうです。

小平選手にはやるからには中途半端ではいけないと、
事務員として採用していますが、
スケートの活動のみの環境を用意しています。

オランダへの留学も出張という形で送り出し、
支援金は通常の他になんと1000万円!

小平選手は、とても真面目で優しくて気遣いが出来るかたで、
遠征先から必ず絵葉書をくれるそうです。

そういった人柄や
スケートに真摯に向き合う姿から

働かずにスケートをしている小平選手に対する
不満をいう職員はおらず、

相澤孝夫氏も、

「もし不満が出るようなことがあれば、
わた自分の給料から遠征費をだしても構わない」

といった発言をされていました。

小平選手が平昌オリンピックでメダルを獲るずっと前から
サポートしてきたので、
オリンピックの活躍は嬉しかったでしょうね^^

一緒に食事に行っても
スケートの話ばかりしているんですよ。

「氷をとらえきれていない」
と悩んでいる時期もありました。

そのために姿勢だとか、ブレードだとか、
いろいろなことを工夫していた。

彼女は氷とうまく対話して、
氷にうまく乗らなくちゃいけない
という言い方をするんです。

そうやって課題に立ち向かっていく
彼女の姿を見ていると、

自分が若い頃直面した困難が
思い出されてますます応援したくなるのです。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54803?page=2

相澤孝夫氏のような方が支援してくれたら
選手もすごく気合が入りますし、
結果を残そうと、努力できますね!

また、人にこのように思ってもらえる程に
スケートに向き合っている
小平選手も素晴らしいと思いました^^

相澤孝夫氏の年収は?

中央社会保険医療協議会の総会と調査実施小委員会で公表された
一般病院の病院長の2016年度の平均年収が、

医療法人  3125万9262円
公的    1893万1644円
公立    1694万6099円
国立    1445万2253円

https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/567605/

だそうです。

ちなみに、
一般診療所(有床、無床の全体)について見ると、
医療法人の院長の平均年収は、2788万505円です。

こうしてみると、

公的な一般病院の病院長の年収は意外と少ないのですね。

社会医療法人財団慈泉会相澤病院の
理事長である相澤孝夫氏は、

3000万円前後の年収かもしれません。

個人的には、地域にこれだけ貢献していますので、
もっともらっていても良い気がします。

相澤孝夫氏には息子がいる?

社会医療法人財団慈泉会相澤病院のHP

には、相澤理事長のご子息と思われる医師がいました。

相澤 克之
副院長
心臓病大動脈センター
循環器内科 医長
総合内科 医師
平成17年 日本大学医学部卒
日本循環器学会循環器専門医
日本内科学会認定内科医

まとめ

地域の皆様に役立つ医療を提供しようと、
24時間365日診療を掲げて、

反発する声もある中でも、
父・正樹さんの教えを守り通して、
救急センターの設置も実現して

病院の経営者として素晴らしい手腕を発揮している
相澤孝夫理事長。

小平奈緒選手に、
強力なサポート体制を整えられたのは、
素晴らしく、
このような経営者がたくさんアスリートを応援されていくと、
選手も嬉しいですね^^

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