林家こん平娘!次女の咲の年齢や結婚と職業は?妻や家族と病気の今現在は?

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林家こん平師匠と娘で次女の咲さんが、

徹子の部屋に出演!

こん平師匠の娘の咲さんは、多発性硬化症

を患うこん平師匠の介護をし、

支えていらっしゃいます。

林家こん平師匠がまだ若く、

咲さんが幼かったころは、家庭を顧みないこん平師匠が

許せなかったという咲さん。

今では介護を通して、父と娘の関係が

良くなってきたのだとか。

14年前に発症した多発性硬化症の影響で、

手足のマヒや言語障害があり、

また糖尿病から足の指を3本切断したという

林家こん平師匠。

そんなこん平師匠をささえる

次女の咲さんのプロフィールや、

こん平師匠の病気のことについて

気になることを調べてみました。

林家こん平娘で次女の咲のプロフィールは?

http://123kompei.jp/gaiyo

名前:笠井咲(かさい えみ)
生年月日:1967年or1968年
年齢:50歳
出身:東京都豊島区
血液型:B型
趣味:
ドライブ/海外旅行/ヒューマンウォッチング
特技:
華道(池坊教授)/バトントワラワー

画像を見る限り、こん平師匠に似ていますね^^

https://news.goo.ne.jp/article/posttvasahi/entertainment/posttvasahi-70333.html

林家こん平師匠の次女の笠井咲さんは、

現在50歳。

高校や大学など学校の情報は

公開されておりませんが、

短大をご卒業されているとのことです。

特技が華道で教授の免許をお持ちであることから、

かなりの腕前であることがわかりますね。

きっと幼いころから落語家の娘として、

日本の文化・作法を身に着けるといった

ことをされてきたのでしょう。

咲さんの、

介護をしながらもはつらつとに生きる姿は

「ひるおび」や「スーパーニュース」

などのTVと、

「女性自身」等

雑誌TVでも紹介されています。

落語家、林家こん平の二女として、

幼少の頃より雑誌やワイドショー等の

番組に出演していたという

咲さんは、

今現在どんなお仕事をされているのでしょうか?

林家こん平娘の咲の職業は?

落語家の林家こん平の娘の次女として

生まれた咲さん。

短大卒業後は、

政党本部総務部勤務

会議や党首会談等海外賓客の接待に携わっていたそうです。

退職後は様々な職業を経験されており、

アパレル業界、医療機関、報道機関などの

職業に就いていました。

その後、

父の林家こん平師匠の病気が発症してからは

林家こん平事務所のマネージャーとして活動し、

2014年5月22日
一般社団法人 林家こん平事務所を設立。

豊島区ビジネスサポートセンターの

支援を受け、

2014年にイベント企画会社、

株式会社 EMIプランニングを設立。

今現在、結婚式・音楽祭・コンサート・

阿波踊り等各種イベントの司会・

ナビケーション活動などを展開されています。

父の林家こん平師匠と共に、

新潟朱鷺メッセイベント、大学や難病の会

などで介護講演等も行ったり、

小学校での落語読み聴かせなどを

通して、落語の伝統を伝えるとともに、

笑いを届ける活動をされています。

落語家の家に生まれた以上、
守るべき伝統や格式は守りながら、
落語に触れていただく機会を
より多くの方に持っていただきたい

http://123kompei.jp/gaiyo

という笠井咲さん。

会社の活動としては、

自分が演者ではなく、

かつ落語家の家に生まれたという人脈を生かし、

一門を超えた斬新なキャスティングや

若手の起用により実現できる

低価格で高品質な落語会を実現。

大人も子供も一緒に楽しめる

笑い溢れる落語イベントや、

子供が実際に体験できる日本古来の正座や

着付けといった所作を学べる

修業体験イベントなど、

幅広いプランニングを展開されています。

社長業をこなしながら、

林家こん平師匠の介護もされているのですね。

とても忙しそうです。

林家こん平の次女咲さんは結婚してる?

咲さんはご結婚され、田中咲という名前になりましたが、

今現在はこん平さんの本名である

「笠井」姓を名乗っています。

離婚したという情報はありませんでしたので、

お仕事をするうえでは、

旧姓を名乗っているのでしょうか?

お子さんもいらっしゃるようなので、

仕事と介護をしながら育児をしてきたという

ことで、相当な苦労があったことでしょう。

しかし、

昔は酒におぼれ、仕事で忙しく家庭を顧みない

こん平師匠が許せなかったという咲さんでしたが、

病気をきっかけに次女の咲さんが介護をすることで、

父と娘の時間が増えて、

関係は良好のようです。

林家こん平の妻や子供など家族まとめ!

名前  :林家こん平
本名  :笠井光男
生年月日: 1943年3月12日
年齢  :75歳
出身  :新潟県刈羽郡千谷沢村
師匠    :初代林家三平
出囃子   :佐渡おけさ

こん平さん曰く、出身地は、

「チャーザー村」と言っていますが、

正しい読み方は「ちやざわむら(千谷沢村)」だそうです!

【芸歴】

昭和33年3月 林家三平に入門 前座名「こん平」
昭和37年   二ツ目昇進
昭和47年   真打昇進
平成 7年より 落後協会理事
平成18年より 落語協会相談役
平成22年   講談社「チャランポラン闘病記」発売

落語家としての活動の他、

レコードを十枚リリースされ、

「コシヒカリ音頭」はコロンビアレコードより

ヒット賞受賞。

卓球が趣味で、『笑点』で共演した

三遊亭小遊三と「らくご卓球くらぶ」を設立。

部員103名の監督だそうです。

1998年マンチェスターにおいて

「世界ベテラン卓球選手権」に出場、

2000年5月 バンクーバー大会にも出場

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した経験があります!

お弟子さんは、

林家こぶ平(現:9代目正蔵)、林家しん平

といった初代三平の預かり弟子や、

林家たい平、林家いっ平(現:2代目三平)ら

直弟子など数多くの弟子がいます。

初代三平からの系譜を受け継ぐ

落語家・芸人たちを事実上の一派として

まとめ上げてきたというこん平師匠。

実際の性格は『笑点』や高座で見せる

豪胆なものではなく、繊細であったということから、

ストレスを紛らわすために、

酒量が多くなることがあり、

後述の病気の要因の一つになったともいわれています。

林家こん平師匠の奥様は恐らく一般人ということから、

名前などは公表されていないようです。

こん平師匠が介護が必要とのことで、

日頃の介護は次女の咲さんとともに、

されているのでしょう。

こん平師匠には次女の咲さんのほか、

長女さんがいらっしゃり、お子さんは二人です。

長女さんもこれまでTVなどには

出演されていないようですが、

もしかしたら、

幼少のころは、次女の咲さんとともに、

こん平師匠のお嬢さんとして

出演などがあったのかもしれませんね。

またお孫さんもいらっしゃいます。

長女さんのおこさんか、咲さんのお子さんの

ことなのかは不明ですが、

「孫は、やっぱりかわいいよ。
落語家になってほしいかって?
なってほしいよ。筋がいいよ」

と過去のインタビューで

答えていらっしゃいましたので、

将来落語家になる可能性もなくはないでしょうね。

林家こん平の病気の今現在の進行は?多発性硬化症とは?

こん平さんは14年前の2004年、

目のかすみに悩まされ、

やがて声が出にくくなり、

体調不良で人生で初めての入院を経験。

「笑点」の収録の日、意識が薄れ、

ろれつが回らない状態になり、

ひたすら笑顔を作って何とか本番を乗りきり、

すぐ東京都内の病院に運ばれました。

その3カ月後の8月22日に、

「多発性硬化症」を発症されています。

「多発性硬化症」は、

神経を包む被膜があちこちで壊れ、

伝達信号がうまく伝わらなくなるそうで、

傷つく神経の場所によって、

様々な症状が出るようです。

こん平師匠は発症後、右手と右足はまひで

思うように動かず、声も出なくなっています。

発症の際は要介護4と厳しいもの。

多発性硬化症は記憶が途切れることがあり、

入院中の出来事について本人は

「全然覚えていない」とのことで

仕事に行こうとするこん平師匠は、

点滴を抜き、ベッド横の柵を乗り越えて、

“脱走”をたびたび図ろうとします。

家族と弟子らは、交代で見張りにつき、

看病されたそうです。

次女の咲さんは、

『この先、どうなるんだろう』と、

不安でいっぱいだったそうですが、

『笑点』レギュラーで人気だった

こん平師匠のことを家族で支え、

復帰に向けて懸命にリハビリを続けました。

歩いたり、腕を動かしたりする

運動系のリハビリは、頑張ることができたという

こん平師匠でしたが、

問題は、商売道具の言葉の方で、

60分の言語療法が毎日行われたのですが、

声が思うように出ず、いらだちを隠せず、

言語聴覚士に、初心者向きの落語

「寿限無じゅげむ」を話してみるよう勧められると、

「今さら寿限無なんてできない」と、

意固地になってはねつけたといいます。

病気を発症したころは、

要介護4だったこん平師匠ですが、

病院内の売店に一人で歩いて行けるようになり、

いすからの立ち座りもふらつかずに

出来るようになりました。

そして、

倒れてから9か月後の2005年5月、

念願の自宅に戻ることができました!

同年9月には、

出演番組の「笑点」40周年の記念撮影で

後楽園ホールに出かけています。

趣味の卓球がいいリハビリにも

なっているようで、

まひのある右手では、

ラケットに球を当てるくらいしか出来なかったのですが、

少しずつ練習を再開し、

ラケットの動きに合わせ、

脚もステップを取れるように!

サーブも打てるし、速いラリーもできるほどに

回復されていました。

しかし、

2013年にかねてより患っていた糖尿病が悪化し、

左足の壊死が進み呼吸困難に陥り、

緊急入院。

心肺停止の状態となり、一命は取り留めたものの、

壊死した左足の指を切断。

退院後は自宅で家族による介護をうけています。

https://www.daily.co.jp/gossip/2017/08/22/0010483859.shtml?ph=2

2015年の時には、要介護3まで回復し、

8月23日の『24時間テレビ38』に出演。

車いすでの登場だった昨年とは異なり、

笑点の舞台(現在たい平が座っている場所)に、

弟子の林家たい平と林家ぼたんの力を借りて登場。

正座が難しいとされている中、

笑点メンバーに見守られての着席もできました。

Twitterより出典

今は要介護2まで戻ってきているとのこと。

ストレスや疲れが病状の悪化を招くとされる

多発性硬化症。

大好きな卓球をリハビリに取り入れるなどして、

次女の咲さんなどご家族やお弟子さんたちに

支えられ回復されたこん平師匠は、

2020年の高座への復帰を目指しています。

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