廣澤誠吉(竹馬登山家)の年収や経歴と家族は?登った山とトレーニング法は?

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2018年2月19日放送の「激レアさんを連れてきた。」で、

竹馬登山家としてとして登場する廣澤誠吉さん。

運動不足解消の為に体を鍛えたら、

度が過ぎて竹馬でキリマンジャロ登頂に成功しちゃった超人として紹介されていますが、

どうして竹馬で??なんでしょうね?

廣澤誠吉さんがどんな方なのか、調べてみると、変わった経歴の人でした!

廣澤誠吉さんの年齢や出身などのプロフィールは?

廣澤誠吉

www.ne.jp/asahi/north/village/kgc/kgc-member/kgc-member.htm

名前     廣澤誠吉(ひろさわせいきち)
生年月日   1946年12月6日(71歳)
出身地    徳島県一宇村
趣味・特技  空手、クライミング、狩猟、鉄馬登山、一輪車、スキー
前職     京都市交通局

廣澤誠吉さんは、徳島県で生まれ育ち、

その後、京都に移り住むと、1969年に京都市交通局に就職。

バスの運転手や地下鉄の駅員を務めました。

そして、

体を動かすことが大好きな廣澤誠吉さんは、

1970年、日本正剛館空手道士会に入門して本格的に空手を始めます。

このころから、体を鍛え、バランス感覚を養うため、

一輪車で通勤することを65歳の退職の日まで続けていらっしゃいます。

自転車ではなく、一輪車!が激レア感出てますね^^

一輪車で通勤されていたら目立つでしょうから、

地元では有名だったかもしれませんね。

廣澤誠吉さんの家族は?

廣澤誠吉さんは、奥様(美千代さん)と

男のお子さんと女のお子さんが一人ずいらっしゃいます。

身体を鍛える廣澤誠吉さんですから、

食事の面で奥様はサポートされていたのでしょうね。

もしかしたら、お子さんは一緒に体を鍛えていたのかもしれませんね^^

廣澤誠吉さんの経歴と竹馬登山のきっかけは?

あらためて廣澤誠吉さんの経歴を見てみると、

1969年(23歳) 京都市交通局に就職

1970年(24歳) 日本正剛館空手道士会に入門

1980年(34歳) 京都岳人クラブ入会

1991年(45歳) キリマンジャロ登頂

1992年(46歳) 空手5段位取得

1998年(52歳) キナバル登頂

2011年(65歳) 京都府山岳連盟副会長就任

山に登り始めたのは30代に入ってからなのですね。

登山を始めたのは空手でより体を鍛える為だったようですが、

普通に登山するだけでは物足りなかった廣澤さんは、

なんと鉄下駄をはいての登山を始めます!

その鉄下駄の重さは、

はじめは左右合わせて8キロのものだったそうですが、

次には20キロのもので、それでも物足りなくなり、

最終的には知り合いの鍛冶職人、野中市郎さんに頼んでつくってもらった

計6キロの鉄製の竹馬での登山を始めたそうです。

これがきっかけで鉄馬登山家になったのです。

廣澤誠吉

https://www.iza.ne.jp/kiji/life/photos/140522/lif14052218020024-p2.html

キリマンジャロを登頂したときには3日間、
寝るとき以外はずっと鉄馬に乗っていたそうです。

普通に登山するだけでも大変ですが、さらに竹馬とは・・・。

想像しただけでも筋肉痛になりそうですし、

何より危険!ですよね。

登山家というより修行僧のようだと思っちゃいました。

一輪車通勤で鍛えたバランス感覚が生きているんでしょうか?

アスリート並みの体幹の強さがありそうですね!

憧れのキリマンジャロ登頂にむけてのトレーニング法は?

初めての海外での鉄馬登山に向け、

片足3キロづつ、6キロの鉄馬に重りを付け、

さらに25キロの荷物を背負って登山を繰り返したり、

高山病の予防のため息継ぎせずに25メートル泳いだりと、

入念な対策を重ねていたという廣澤誠吉さん。

トレーニング法を極め、

身体、精神にとても良い総合的な健康法「健康空手気功道」を開発します。

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呼吸法から、立ち方、筋力トレーニング、空手の基本技、

ストレッチング、気功の動作、手当、座禅などが組み込まれてきるようです。

普段のトレーニング法は、自叙伝によると、

屈伸運動を普通の片足屈伸で50回、

30Kgのバーベルを担いでの片足屈伸を10回こなしています。

空手の型の練習を100回したり、

突き蹴り受け等の基本技を10,000回する等反復動作の限界に挑む

と綴っています。

さらに、バスの乗務員時代では、

耐寒訓練として寝袋なしのカッパだけで雪の中で寝たり、
雪山で手袋を履かずに素手で行動し、日常生活は冬も半袖で過ごした。
バスの乗務も半袖でしていたので、乗客からは苦情の電話が相次ぎかかって来た。

これはすごい・・・・!

奥様も心配だったでしょうね!

廣澤誠吉さんが登った山はどこ?

廣澤誠吉さんはこれまでに国内外、様々な山に登頂されています。

京都   愛宕山(百数十回)
京都   大文字山(1回)
滋賀県  千石岩(10回)
滋賀県  伊吹山(1回)
静岡県  富士山(2回)
奈良県  大峰山(3回)
長野県  乗鞍岳(2回)
東京都  御岳山(1回)

アフリカ  キリマンジャロ(1990年、45歳の時)
マレーシア キナバル(1999年、52歳の時)

また、

東京タワー外階段やサンシャインビル階段なんかも登っているようです。

ここは登っても良いんでしょうか?

許可をとって登ったのでしょうか?

廣澤誠吉さんの年収は?

登山家の年収はどのくらいなのでしょうか?

調べたところ、廣澤誠吉さんは、

空手の指導員や山岳指導員として働いているそうです。

登山家としてスポンサー契約されての契約料などはなさそうですね。

登山はあくまで仕事上の延長で、鍛錬の為のようです。

まず空手指導員の平均年収ですが、

場所や大きさ、人にもよりますが、およそ250万円だそうです。

次に山岳指導員の平均年収ですが、

平均すると、600~800万円だそうです。

これらを合わせると、廣澤誠吉さんの年収は、

およそ850~1000万円くらいかと思います!

67歳にして約1カ月スペインに滞在しロッククライミング三昧の日々を送るなど、
超人的な生活ができるのはある程度の収入があるからなのでしょう。

登山の入山料や準備、渡航費などが飛んでいきますが、

登山が生きがいとなった廣澤誠吉さんにとっては全く惜しくない出費でしょうね。

廣澤誠吉さんの性格は

『色々手掛けて来たが、何れも決して早い方ではなかった。
早かったのは、恋愛と、酒煙草くらいで

空手、クライミング、狩猟、鉄馬登山、一輪車、スキー等、一般よりは遅く始めた』

「物事を始める時、『この年からでは遅い』と言うが、大成は出来なくても、幾つから始めても感動は同じである」

と自叙伝「異色冒険 鉄馬登山家―廣澤誠吉自伝」に綴っている廣澤誠吉さん。

齢を重ねるごとに新しいことにチャレンジすることを避けてしまいがちですが、

自分の可能性を信じて挑戦する廣澤誠吉さんは、

素敵な生き方をされていると思います!

まとめ

自伝の『後編』も出すために、

もっと面白いことを積み重ねていきたいという廣澤誠吉さん。

130歳まで元気で生きることが目標なのだそうですよ^^

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