一澤信三郎社長の経歴や年収!兄弟のお家騒動や妻と経営方針は?

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カンブリア宮殿に出演の一澤信三郎(いちざわ しんざぶろう)社長。

かつては遺産相続をめぐり、お家騒動がありましたが、

現在の兄弟仲はどうなのでしょうか?

一澤信三郎社長の経歴や年収と家族について調べてみました!

カンブリア宮殿では、

老舗カバン店「一澤信三郎帆布(はんぷ)」のお手頃価格の秘密や

どん底から奇跡の逆転について語られていた一澤信三郎社長。

現代では珍しくオンラインショッピングはないんですね!

京都に1件しかないという老舗のカバン店ですが、

長年の熱烈なファンに支えられているそうです!

一澤信三郎の年齢や出身などのプロフィールは?

http://www.chunichi.co.jp/

名前:一澤信三郎(いちざわ しんざぶろう)
生年:1949年
年齢:69歳
出身:京都府東山
大学:同志社大学
職業:一澤信三郎帆布代表取締役社長

3人兄弟の真ん中で自由に育った一澤信三郎社長。

お父様は一澤帆布工業株式会社の3代目一澤信夫さん。

小さい頃から住まいが仕事場だったため、

常にミシンの音を聞き、帆布のにおいを感じる暮らしだったそうです。

学生時代から家業を手伝うことも多くありましたが、

「自分の知らない外の世界へ出てみたい」と

大学卒業後は朝日新聞社に10年勤めます。

1980年に家業に戻り、

1988年に4代目の社長として一澤信三郎さんが就任されています。

一澤信三郎さんの父、信夫さんは、

帆布をつかった遊びをしてくれたそうで、

草野球が流行ったときに、帆布でベースを作ったり、

小学生のときは学校にプールがなくて、

父信夫さんが狭い庭のなかに

「プール作ったる」

と言って、

帆布で外枠を縫って、

端っこを柱にくくりつけて、水を入れたプールを作成!

近所の子どもがいっぱい集まってきて、

大変賑やかだったそうです(笑)

一澤信三郎帆布の経歴は?

「一澤信三郎帆布」の前身である「一澤帆布」は、

信三郎の曾祖父にあたる一澤喜兵衛が

ミシンでちょっとした道具入れを作ったところから始まります。

現在の一澤帆布は、一澤喜兵衛氏が

1905年(明治38年)に創業。

風変わりで、新しいもの好きで、ハイカラな喜兵衛氏。

クリーニング店やバンド活動など、様々な“舶来もの”

を取り入れ、

その中で残ったのがミシンだったそうです。

大正時代になると真面目で職人肌の2代目一澤常次郎氏のもとで、

1,000円で家が建つ時代に、400円という高価なミシンを購入し、

本格的に厚い帆布が縫えるようになりました。

薬屋、牛乳屋、大工、植木屋、酒屋などの職人用カバンの製造を行います。

3代目一澤信夫氏は、

クリエイティブな感性あふれる人物でした。

ジャズやクラシックを聴き、骨董や絵画を愛で、おしゃれ好き。

真面目な父の常次郎よりも、ハイカラな祖父の喜兵衛に似ていたようです。

戦後にリュックサックやテントも手がけ、登山用品のトップブランドとなる。

また『平凡パンチ』『POPEYE』『an・an』など

若者の雑誌や『家庭画報』などに取り上げられたことで注目を集めました。

1980年に信夫氏の三男、

一澤信三郎が朝日新聞社を退社して家業に戻り、

1988年に4代目の社長となりました。

働きやすい社内環境や現代的な経営へと改善し、

「広く一般の人に向けて、使い勝手のよい、丈夫なかばんを中心に作っていこう」

と老若男女さまざまな人が使える帆布かばんを考案しました。

1980年当時は、「赤字すれすれの零細企業」で、
事業の継続性も危ぶまれましたが、

信三郎氏は妻の恵美氏とともに家業を盛り立て、

京都市東山区の知恩院近くの店舗でしか買えないという希少性もあり、

観光客が行列を作る人気店に成長させました。

一澤信三郎帆布のお家騒動とは?

一澤信三郎社長が、

帆布かばんを製造直売する店として世間に認知された頃、

相続に関してのお家騒動が起こります。

一澤信夫氏にはお子さんが4人いたそうです。

長男:一澤信太郎
次男:故人
三男:一澤信三郎
四男:一澤喜久夫

信夫氏はかばん職人としてだけでなく教育者としても優秀で、

長男の信太郎氏は京都大学を卒業後に東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行。

三男の信三郎氏も朝日新聞社に入社。

四男の喜久夫氏は手が器用で、絵が上手だったそうです。

一澤帆布のシンプルで実用的なデザインの大半は、喜久夫氏の手によるもの。

喜久夫氏は病気がちであったため、

信夫氏は長男か三男に家業を手伝うことを求めて、

当時の話し合いで実家の近くに住んでいた

信三郎氏が会社を継ぐことになったそうです。

信夫氏の遺言書の内容は、

信夫氏の持ち株のうち3分の2を信三郎氏とその妻の恵美氏に譲り、

残りの3分の1は喜久夫氏に相続させるというもの。

その通りになれば生前贈与分も含めて信三郎夫妻の持ち株比率は約66%となり、

経営権を掌握できます。

一方、信太郎氏には株を相続させず、

現金などを譲ると記されていたそうです。

この「第1の遺言書」は2001年3月に信夫氏が亡くなるまで

会社の顧問弁護士に預けられていましたが、

長男の信太郎氏が自分も遺言書を預かっていたことを明かします。

「第2の遺言書」が出てきたわけです。

長男の信太郎氏は、

第1の遺言書は信三郎氏が信夫氏に無理やり書かせたものであると主張。

そのため信夫氏は自分の考えに合うように、

2000年3月9日付で第2の遺言書を書いたのだという。

「第2の遺言書」の中身は、

信夫氏の持ち株のうち5分の4を信太郎氏に、

残りの5分の1を喜久夫氏に譲るというもの。

第2の遺言書通りに相続すれば、

信太郎氏は株の約半分を握り、

喜久夫氏と組めば一澤帆布の経営権を握れることになります。

民法には
「遺言書が2通ある場合は後に書かれたものを優先する」
という規定があり、

このままでは信太郎氏がもつ第2の遺言書通りになるのを防ぐ為、

長男が提出した遺言書が偽装であることを提訴します。

第1の遺言書は巻紙に毛筆で書かれ、
「一澤」の実印も押されていました。

一方、第2の遺言書は便せんにボールペン、
印鑑は「一沢」という認め印が使われていたようですね・・・。

裁判で争いますが、

「無効と言える十分な証拠がない」

として三男側は敗訴します。

そして、長男は三男を2005年に解雇するという事態になってしまいました。

しかし、2009年、最高裁で、

長男らに株を譲るとした遺言書を「無効」とする判決が最高裁で確定。

長男の信太郎氏は創業家の経営を離れ、

この後、信三郎氏は創業家の経営に復帰されています。

これが一澤帆布工業株式会社の
お家騒動の概要です。

この騒動を題材にしての小説がありました!

短編集になっており、1話読み切りで、非常に読みやすいです。

現在は、

デザインが得意だった四男の喜久夫氏が新ブランドを、

信三郎氏の「一澤信三郎帆布」から約200メートル南で、

歩いて3分とかからない場所で店舗を立ち上げているそうです。

対立する気はなく、

喜久夫氏は

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「『昔の一澤帆布がええ(良い)』という人に向けて作った。
一澤ファンに納得いただける商品を提供していくだけ」

と話されています。

一澤信三郎の結婚した妻は?

http://sakai.keikai.topblog.jp/blog_detail/id=10007224

一澤信三郎さんいわく、

「私なんかよりはるかに働き者」という 恵美夫人。

取締役でもあり、先代から会社を引き継いだばかりの頃、

赤字スレスレの経営だった会社を立て直すことに、

尽力されています。

一澤信三郎の年収は?

有価証券報告書などが確認できなかったので、

会社情報からみてみます。

企業情報   最終更新日:2018/04/26
企業名     株式会社一澤信三郎帆布 (イチザワシンザブロウハンプ)
住所     〒605-0016
京都府京都市東山区東大路三条下ル進之町590番地

資本金    1000万円
設立     1899 年
従業員数   85人
URL    http://www.ichizawa.co.jp
業種     製造業 > 皮革製品等製造業 > かばん・袋物製造業
業務内容   綿帆布・麻帆布バッグ(製)(小)

従業員300人未満の役員の年収は、平均で、

3109万円というデータがありますので、

一澤信三郎社長の年収もそれに近いのかもしれません。

ちなみに店舗はこちら!

〒605-0017
京都市東山区東大路通古門前上ル高畑町602

八坂神社、知恩院が近くで、
店舗は東大路通りに面しています。
「布包」の暖簾とガラスのショーウィンドウが目印です。

http://www.ichizawa.co.jp/shop/

一澤信三郎社長の経営方針は?

一澤信三郎社長は売り上げにはあまりこだわっていないようで、

販売も店頭でのみです。

スカイツリーに出店しませんかと言われたときは、
「高所恐怖症ですねん」って断った。

http://www.ichizawa.co.jp/about/voice/4.html

うちでは職人も店頭に立ったり、たまのデパートの催事では、
うちの販売スタッフや職人が必ず会場に行ってお客さんと話したりする。

そうするとお客さんのいろんな質問に職人が答えられるし、
こんなカバンがあったらという要望も聞ける

http://www.ichizawa.co.jp/about/voice/4.html

社員の方も、直接販売されていることについて、

自分がさっきまで作っていたカバンが店舗に並んで、
お客さんが手に取ってくださるだけでうれしい。

さらにお客さんが話しかけてくれたり買ってくださったりすると、
すごくやる気につながります。
作る人と使う人の距離が近いのは僕らも刺激になりますね。

http://www.ichizawa.co.jp/about/voice/4.html

店舗では、お客さんがカバンを選んでいるときの

楽しそうな雰囲気を味わえるのがうれしい。

http://www.ichizawa.co.jp/about/voice/4.html

と感じているようです。

一澤信三郎社長が貫く店舗のみの販売は、

お客さまと、従業員にとってよい空気がうまれているようです^^

一澤信三郎社長は

とりあえず会社の規模が大きかったらいいとか、
売上を増やして強くなったらいいとか、そういうふうに思ったことはない。

もし会社が大きくなったら、支店ができて転勤せなあかんやろ、
恋人や家族がいたら離れ離れになるやんか。

そうなったら、
ほんまに大きくすることが社員にとってええんかどうかやなぁ。
個人的には自然に大きくなるのはいいと思うけど、
無理して大きくすることはないと思ってる。

http://www.ichizawa.co.jp/about/voice/4.html

と語っていることから、

お客様と従業員の満足度や幸福をまず願っているようです。

世間で問題となっているような長時間労働とか非正規労働といったものは、

一澤信三郎帆布にはなく、

残業なども必要最低限だそうで、

残業代もしっかりと支払われるそうです。

非正規は私たちの信条にあいません。

同じ仕事をしているのに給与や待遇が違うなんて、
そんな不自然なこと、
理不尽なことがありますか。

それで職場がうまくいくのでしょうか。

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/hiroba/list/CK2017082602000244.html

そして、

カバンづくりについては、

安売り競争にはまったら自分の首を絞める。
ものの値打ちと価格が合うのが大事だと思っている。

値段だけ高くて何だこれってものではなく、
量産ものの安っぽいものでも、
希少性が高く金庫に入れておかなければならない
芸術作品みたいなものでもない。

飽きのこないもので末永く使ってもらえ、
使っていく中で納得してもらう値段で売る。
天然繊維だから年月とともに、使い込むほどに良い味になって、
修理に返ってくるようなもの、うちはこんなやり方しかないと思っている。

無理して競争しなくてもいいと父親も言っていた。
たくさん稼いでも人の十倍飯を食べられるわけではない(笑)。
見る人が見たらわかってもらえるものを作っていくだけです

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/hiroba/list/CK2017082602000244.html

と語っておられます。

まとめ

一澤帆布の創業から110周年、一澤信三郎帆布になってから9周年。

いつもの自然体で新しい企画を考えているという

一澤信三郎社長。

職人さんの思いが詰まったカバンをお客様がよろこんで買ってくれるのが

嬉しいそうです。

オリジナルの良質な天然帆布を使って、

職人たちの手で一つ一つ丁寧に作られた一澤信三郎帆布のかばんは、

丈夫で長持ち、そしてシンプルで使い勝手が良いと評判です。

良いお品はやはり長く愛されるのですね^^

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