ピューマ渡久地(ボクサー)の今現在と嫁や子供は?ジムの場所と戦績は?

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4月6日放送の爆報フライデーに、元ボクサーのピューマ渡久地(とぐち)さんが出演。

記憶が消されていく病気を患っていたのだとか・・・。

「平成の三羽烏」と呼ばれて活躍されていたピューマ渡久地さん。

現在の仕事や奥さんや子供の様子、経営するジムの場所などについて調べてみました!

ピューマ渡久地の出身や年齢などのプロフィールは?

https://boxmob.jp/sp/news/index.html?nid=6997&n=1

本名     渡久地 隆人(とぐち たかと)
リングネーム ピューマ渡久地
階級     フライ級
身長     161㎝
生年月日   1969年11月20日(48歳)
出身地    沖縄県石川市(現・うるま市)
高校     興南高等学校卒業
大学     日本大学農獣医学部中退
スタイル   右ファイター

身長161㎝と小柄ながらも、パワフルなボクシングスタイルで、

1990年代のボクシング界を盛り上げた一人です。

鬼塚勝也、辰吉丈一郎と共に「平成の三羽烏」と称された

イケメンボクサーで、元日本フライ級の王者でした!

ピューマ渡久地の経歴や戦績は?

ボクシングを始めたのは高校入学からで、

金城真吉監督の指導の下、才能を開花させていきました。

高校時代は、

1987年のインターハイでは、

後のWBC世界スーパーフライ級王者・川島郭志に敗れ、準優勝ですが、

海邦国体で沖縄県チームとして優勝しています。

アマチュア時代から58戦53勝(40RSC)5敗と、

プロ顔負けのパワフルなボクシングを持ち味として、

18歳でプロ入りを果たし、1988年8月にデビューされています。

プロデビュー後は、

全日本新人王(MVP)
A級トーナメント優勝(MVP)
日本プロスポーツ大賞・内閣総理大臣新人賞受賞などを受賞。

東日本新人王トーナメント決勝では、

インターハイ決勝で敗れた川島郭志を6回TKOで勝利しています。

プロデビュー後は9戦全KO勝ちの戦績で、

1990年3月、10戦目で日本フライ級王者になります!

その後の防衛戦でもKO勝ちを収め、

デビュー戦から11戦連続KO勝ちは日本歴代3位の記録だそうです!

ちなみに日本記録は15連続KO勝利で、

1985年・・・浜田剛史(帝拳)
2007年・・・牛若丸あきべぇ(協栄)
2018年・・・比嘉大吾(白井・具志堅)

が達成されています。

2018年4月には比嘉大吾選手の新記録がかかっているようですね!

ちょっと脱線しましたが、

1991年3月、3度目の防衛戦の試合直前に失踪。

日本王座は剥奪となり、

ペナルティとしてJBCから「無期限ライセンス停止」の処分を受けてしまいます。

そして、2年半の近いブランクを経て復帰。

1995年の復帰5戦目で日本王座再挑戦し、4年ぶりの王座返り咲きに成功。

その後3度(前回の王座を含め通算5度)の防衛に成功してます。

1996年に世界フライ級王者・勇利アルバチャコフと対戦し、9回TKOで敗北。

その後5連勝して、

1998年12月にWBA世界スーパーフライ級王者飯田覚士との世界再挑戦が決定しますが、

試合前に「脳梗塞の疑いがある」と診断され、再挑戦中止になっています。

「脳梗塞の疑い」は誤診だったそうですが

1999年10月、1年4か月ぶりの試合に臨み、この試合を最後に29歳で現役を引退しています。

プロ通算戦績は 27戦23勝(19KO)4敗だったそうです。

世界チャンピョンになれなかった理由は?

昭和30年代に「フライ級三羽烏」と称された逸材の、

ファイティング原田(世界王座2階級制覇)
海老原博幸(2度の世界の王座)
青木勝利

になぞらえて、

鬼塚勝也、辰吉丈一郎と共に「平成の三羽烏」と称され、

実力もあったピューマ渡久地さんが、世界チャンピョンになれなかったのは、

お酒が原因と言われています。

1991年3月に勇利アルバチャコフとの世界戦を控えていたピューマ渡久地選手。

試合直前に失踪してしていたのは、

飲酒の上、暴力ざたを起こし、右コブシを骨折したためだそうです。

表向きの発表は、ロードワーク中の右足首捻挫でしたが実際は違ったようですね。

もし、お酒による失敗が無かったら、

世界チャンピョンになっていたかもしれないですし、

その後の人生も変わっていたのではないでしょうか?

ピューマ渡久地の今現在はジムの会長!

ピューマ渡久地さんの現在ですが、

今は「ピューマ渡久地ボクシングジム」で名誉会長をつとめています。

当初は会長として自ら積極的に指導にあたっていたようですが、

途中で病気療養のために妻の渡久地聡美さんにジムを任せ、

東京にあるジムを4年間離れ、沖縄で静養されていた時期もあったようです。

「ピューマ渡久地ボクシングジム」

〒106-0044 東京都港区東麻布1-25-3 富田ビル2F
TEL/FAX  03-3583-6007
Mail    info@puma-gym.com
http://www.puma-gym.com/

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ピューマ渡久地の嫁(奥さん)や子供は?

ピューマ渡久地さんは、

1993年8月に生田聡美さんと結婚し、二女一男の3人の子供がいます。

長女と次女の情報はわかりませんが、

2001年1月に末っ子のルオ君を出産されていますね。

しかし、2006年に離婚。

http://www.news-postseven.com/archives/20130714_199839.html

ただ、今でもピューマ渡久地さんとは関係が続いているようで、

2人で設立したボクシングジム「ピューマ渡久地ボクシングジム」には、

名誉会長がピューマ渡久地さん、

会長が渡久地聡美さんと名前が載っています。

聡美さんはボクシング経験は無かったようですが、

元御主人のピューマ渡久地さんと出会ってからは、徹底的にボクシングを研究されたようで、

女性でありながらマネージャーライセンスを交付されるまでになっているようですね。

離婚しながらも一緒にジムを運営しているのは、練習生の為なのだそうですね。

しかも経営が厳しいので、ジムからのお給料は無いのだとか。

慣れないジムの仕事からくるストレスをお酒で発散させていたため、

家族を守るために離婚したようで、

記憶が消える病気と闘っているピューマ渡久地さんのことを今でも支えていることからも、

嫌いになって離婚したわけではないのではないかなぁと思いました。

奥様のブログには、

今の渡久地の現状は日々失われていく記憶とともに、現役を退いた今もなお、まるでボクサーのようにこの瞬間に生きているのかも知れません。

こうやって今ジムを続けていけるのも、
これまで関わっていただいた皆さまや、今もジムを守ってくれている人たち、本当にその方々のお陰だと感謝しています。

わたしにとっても、ようやく一歩前進です。

毎日必死に前ばかり見て、過去を振り返ることなどありませんでしたが、
今回この12年間をしみじみ振り返る事ができました。
このような貴重な機会を与えていただき本当にありがとうございました。

と語っていました。

奥様は、

ボクシング業界では珍しい女性会長として活躍されていますが、

プロの育成のみならず、ダイエットについても教えています。

2013年には「餃子ダイエット」という本も出版されていますね。

ピューマ渡久地さんが現役の時からされている減量法のようですね^^

ボクサーがされていた方法なら、栄養面でも安心して挑めそうです。

ピューマ渡久地の病気は重積発作だった!

それにしても、

ピューマ渡久地さんの記憶が消えていく病というのが気になりますね。

この病気がどんな病名なのかまでは今のところハッキリしていませんが、

ピューマ渡久地さんは現役時代、脳梗塞の疑いがあるということで、

世界挑戦権が消滅したことがあります。

実際のところは、あとになってこの脳梗塞の疑惑は誤診ということが発表されるのですが、

脳梗塞から記憶障害の症状が現れる事もあるそうですね。

引退後に症状が強く表れてきたのでしょうか?

しかし、

番組の中で、重積発作ということがわかりました。

突然痙攣発作が起き、倒れてしまうそうで、

発作が起きると、脳の細胞が20万個も死んでしまうのだそう。

それによって、近々の記憶を無くしてしまっていたようです。

現在は右半身マヒになってしまったようです。

まとめ

現役時代天才ボクサーと呼ばれ、世界チャンピョンの器があったピューマ渡久地さん。

現在は家族に支えられながら、後進の育成に励んでいるのですね。

経営するボクシングジムから世界チャンピョンが誕生したら嬉しいでしょうね^^

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