ミチコ(激レアゴールデン街ママ)はブラジルで銃撃戦!結婚やBARひしょうとは?

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「激レアさんを連れてきた。」に、

ミチコさん(佐々木美智子)が、

ブラジルでめちゃめちゃ銃撃戦を
繰り広げた経験があるゴールデン街
伝説のママ

として登場されます。

歌舞伎町ゴールデン街で「伝説のママ」

と呼ばれている佐々木美智子さんは、

ブラジルで銃撃戦を繰り広げたという

衝撃的な経験もされてきたという、

かなりの波乱万丈な人生を生きてこられた方であり、

番組タイトルと同じように

まさに「激レアすぎる」経歴をお持ちです。

今回は、

佐々木美智子さんの経歴や

歌舞伎町ゴールデン街で営んでい

たBAR「ひしょう」について、

写真家としての活動、

そして夫や子供などの私生活についても調べてみました。

佐々木美智子の年齢や出身などのプロフィールは?

佐々木美智子

https://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948/e/abac352a079fa0184d52b99820f56047

名前  :佐々木美智子
生年月日:1934年生まれ
年齢  :84歳
出身地 :北海道根室市

北海道の東の根室市で生まれた

佐々木美智子さん。

地元の根室高校を卒業されています。

今現在は84歳ですが、

現役で、新宿ゴールデン街にて、

BAR「ひしょう」を営んでおられます。

佐々木美智子さんは、かなり複雑な経歴で、

事件というか、何か事が起きているところに

身を置おいてきた人生のようです。

佐々木美智子の経歴は?

佐々木美智子さんの複雑な経歴を

まとめてみました。

●20代で上京し、日大闘争にのめり込んだ30代

北海道根室市生まれの佐々木美智子さんの

愛称は「おみっちゃん」

戦争が始まる前の幸せな時代もありましたが、

一番上の優しい長兄が徴兵され、

上官にリンチを受けて死んでしまうという事件が!

明るかった母が物も言わなくなってしまい、

家族が一変して暗くなってしまったそうです。

暗くなった家庭から出たくて、

都会育ちのサラリーマンと19歳で結婚し、

旦那さんのご実家があった

函館に住んでいたそうです。

でも、

平和で幸せな毎日に人生を考えてしまい、

離婚して、キャバレーで事務を始めます。

見かねた母親がなんとか工面したお金で、

22歳で上京するも、

美容学校の入学式で聞いた校長の話に

納得がいかず、式が終わると即退学。

やくざから屋台を借りて、

新宿・伊勢丹の裏通りで

おでんの屋台を始めました。

そして、

おでん屋の客だった日活の人から誘われて、

日活の編集部に入ります。

気配りができる石原裕次郎さんは

「人気絶大」だったとか。

そしてその当時、

34歳だった佐々木美智子さんは

日大全共闘にのめり込んでいたそうです。

半世紀前、全国の大学闘争を

代表する運動だった「日大闘争」ですが、

運動に参加していた学生が

集まるところをつくるという目的で、

1968年に新宿ゴールデン街で

BAR「むささび」を始められたそうです。

BARの生い立ちがまさかこうした

歴史的背景があったとは、

やはり戦後の激動の時代の影響が強かったのですね。

●歴史的な出来事を記すために写真家の道へ

このころ佐々木美智子さんは上京後、

激動の時代を記録として残したいと感じ、

写真家を目指し始めます。

東京綜合写真専門学校という

写真専門学校を1965年に卒業し、

晴れてカメラマンになった後は、

新宿ゴールデン街で、

今や伝説になっているBAR「むささび」を

経営しながら、

映画のスチールカメラマンなどとして活動。

そして日映新社によって制作された

日大闘争をテーマにしたドキュメント映画

「死者よ来たりて我が退路を絶て」

の制作に携わったことを機に、

日大闘争の撮影を開始されます。

1970年に安保闘争が終わって、

ひとつの区切りを迎えたことで

BAR「むささび」は閉めることになったそうですが、

その後は新たに新宿の酒場

「ゴールデンゲイト」を経営したのち、

スペインへ旅行し、

その後、1979年に

ブラジルに渡り9年間アマゾンで

飲食店・ペンションを経営していた

という異色の経歴を持っておられます。

ブラジルのアマゾンでバーを経営している際は、

儲かっているとマフィアに突然銃弾を

撃ち込まれ、銃撃戦になったこともあるとか!

しかし、

ブラジル人のスゴイところは、

銃撃戦をやった人が、

一週間もしないでお店にくるのだそう。

世界各国を回りながらも、

どこでも生きていける力を持っている

佐々木美智子さんは、

バイタリティーに溢れた方だ

ということがわかりますね。

●新宿歌舞伎町ゴールデン街「伝説のママ」

佐々木美智子さんは写真家として

日大全共闘のバリケードの内側や

ゴールデン街「むささび」、

歌舞伎町「ゴールデンゲート」の酒場で

写真を撮り続け、

現在は新宿歌舞伎町ゴールデン街の

「ひしょう」でシャッターを切っておられます。

(「ひしょう」についてはまた後述します。)

佐々木美智子さんは「伝説のママ」と慕われ、

佐々木美智子さんに会いに

毎夜のように様々な人たちが同店を

訪れるそうです。

日本だけでなく海外でも自分のお店を

経営されていたという実績を持つ

佐々木美智子さんですが、

こうして人を引きつける力は本当にすごいですよね。

そして佐々木美智子さんは、

新宿の「ゴールデン街」で

60年以上にわたって撮り溜めた

人々の写真集「新宿ゴールデン街の人々」を

発刊されたことでも話題を呼びました。

さらには

「日大全共闘あの時代に恋した私の記録」

日大全共闘 あの時代に恋した私の記録 佐々木美智子写真集 [ 佐々木美智子(写真家) ]

「新宿発、アマゾン行き」

新宿発アマゾン行き [ 佐々木美智子(写真家) ]

「新宿、わたしの解放区」

など数々の著作がある佐々木美智子さん。

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かなり歴史的な背景が絡んでくるものなので、

当時を知る人や、

歴史好きの方にはたまらないでしょうね。

あまり日本の歴史を知らない

若い方が読んでみるのも勉強になりそうです。

佐々木美智子のお店がある新宿ゴールデン街とは?

新宿ゴールデン街の成り立ちは、

第二次世界大戦後にさかのぼります。

戦後の闇市に2階建てのバラックが立ち並び、

そこに非公認の売春街「青線」が

誕生したことが新宿ゴールデン街の始まりだそうです。

「ゴールデン街は闇市の跡に立った

間口が2~3メートルくらいのバラックが

林立したところ。

そこで非公認の売春が行われていた。

このバラックはそれぞれ別個に立っているけれど、

3階がつながっているという

不思議な構造だったのね。

そこで警察の手入れが始まると売春婦も

お客も3階に上がって、

端っこの店まで逃げたもんです。

そんなことをして生活の糧を

得ていた人たちは、

みんな人柄が良かったけれど、

いなくなった。」

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/238826/4

と佐々木美智子さんは語っておられます。

このエピソードからも、

違法とわかっていながら生計を立てるために

売春を行っていた方が多かったのでしょうか。

売春と聞くとなんとなく人相の悪い人が

斡旋しているようなイメージですが、

そこまでブラックな世界ではなく、

人柄の良い方も多かったようですね。

しかし1957年に売春防止法が

施行され青線は廃止。

空き家となった売春宿が飲食店に替わり、

現在に至るそうです。

佐々木美智子のBARひしょうとは?場所はどこ?

前述した通り、

1972年に歌舞伎町ゴールデン街で

佐々木美智子さんが開店し

たBAR「むささび」は3年でお店を

閉めることになったそうですが、

その跡地に、長谷百合子さん、

通称「おりゅうさん」という方が

始めたのが「ひしょう」というBARだそうです。

長谷百合子さんは1990年の総選挙で

旧日本社会党から立候補して、

「マドンナブーム」に乗って当選した

凄い方だそうで、

むささびが飛ぶという意味を込めて

「ひしょう(飛翔)」という店名にした

と言われています。

佐々木美智子さんのお店「むささび」に

ちなんだ名前だったのですね。

しかし長谷さんが年齢と共に

お店に出続ける体調ではなくなってきた

ということで、

お店をどうしようかと考えていたところ、

佐々木美智子さんが

「もう一度仲間が集まれる場所を作りたい」

という思いでお店を続けることを選んだそうです。

むささびに通っていた人が

懐かしくて来たり、

長谷さんがやっていた頃の

ひしょうのお客さんが来たりと、

今もお客さんが絶えないそうです。

常連になった人も多いと言います。

佐々木美智子さんが営む

「ひしょう」のHPから抜粋した内容は以下の通りです。

BAR ひしょう
●東京都新宿区歌舞伎町1-1-8
●定休日:なし(無休)
●開店時間18~23時
●電話 03-3200-5325
●公式HP http://hisyo.main.jp/

Google

佐々木美智子さんの写真家としての活動は?

佐々木美智子さんは写真家として

60年以上、様々な貴重な写真を

残してこられました。

佐々木美智子さんの代表作である

「新宿ゴールデン街の人々」では、

写真を載せるだけでなく、

写真家として経験を積む中で

関わった仲間や著名人、

そして「むささび」を経営している頃に

関わった方約300人の顔を写真に収め、

その人にまつわるエピソードを

寄せているという少し変わった

構成になっています。

そして佐々木美智子さんが

撮っている写真は、

ほとんど顔の「ドアップ」であり、

特徴的な構図になっていると言います。

その理由について、佐々木美智子さんは

そのほうが人の本当の顔が見えるからだと

語っておられます。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/238826

本当の顔が見えるから。

人が写真を見るときの視線って、

ついメガネや髪形にいってしまうもの。

アップにすることで、

その人の本当の顔を写真に切り取るんです。

それを現像すると

「ああ、この人は恋をしているな」とか

「表情には出さないけれど、

心の内に悲しみを抱えているな」

なんてことがわかる。

確かに人を見る時には顔というより

顔のパーツや髪型などを見てしまう

ことも多いですよね。

純粋に人の表情を見ていることは

意外にも少ないのかもしれません。

顔をドアップにするのは斬新な気もしますが、

一番理にかなっているのですね。そ

して写真集を出した後にも

既に200人以上も写真を撮りだめて

いるそうです。

新たな写真集が出版されるのでしょうか。

楽しみですね。

佐々木美智子さんのゴールデン街にかける思いとは?

佐々木美智子さんはゴールデン街が

できたばかりの頃から、

ゴールデン街を支えてこられた方です。

しかし最近はゴールデン街がなくなる

という噂まで出ていると言います。

実際に、売春防止法が施行された後、

1964年の東京五輪後には

ゴールデン街で働いていた人は

どんどん追い出されてしまった

という過去があったそうです。

その後、ゴールデン街は存続しているものの、

外国人で賑わっており、

昔とは全く風景が変わっているそうです。

このように、

いまは外国人にも人気スポット

かもしれませんが、

いつかはなくなってしまうのではないか

と危惧していると佐々木美智子さんは

語っておられます。

そして何より困るのが、

人々の交流の場がなくなってしまうこと

だそうです。

今は核家族化もすすみ、

近所づきあいも希薄になっており、

今時こうして様々な人が交流できる場など

ほとんどないに等しいですよね。

ゴールデン街という貴重な交流の場が、

今後も続いていくことを願うばかりです。

佐々木美智子の今現在は結婚してる?子供は?

佐々木美智子さんは、

19歳の最初の結婚のあと、

・日大全共闘の議長秋田明大氏と交際

・やくざの親分に女になれと言われる

・ブラジルのアマゾンで出会ったDV男性

と男性との出会いはあったようですが、

今現在は独身のようです。

なのでおそらく

お子さんもいらっしゃらないのかもしれません。

佐々木美智子さんは、

どの相手についても、恨み節ひとつなく、

「いい人だった」と振り返られています。

それは幼いころに優しい兄が

不条理に殺されてしまった経験から、

本当の心の悲しみや苦しみ、

ひとつの考えしか許されず

「日本人全体が操り人形みたいだった」

戦争中を実感しているからこそ、

一つ一つの出会いも受け入れ、

大切にされているのでしょう。

まとめ

1960年後半の日大闘争に参加して

その写真を撮影したり、

新宿歌舞伎町のゴールデン街で

バーを開きながら

映画のスチールカメラマンなどの

活動をした後、

ブラジルに移住し、バーを開店していた

という「激レアな」経験を持つ

佐々木美智子さん。

84歳になった今も現役で働き、

BAR「ひしょう」で「伝説のママ」

として慕われています。

そしてゴールデン街で60年以上にわたって

写真を撮り続けている佐々木美智子さんは、

まさにゴールデン街と共に生きてきた人と

言えますね。

時代の流れで少しずつ変化も見られている

ゴールデン街ですが、

今後も人々の貴重な交流の場として

続いていくといいですよね。

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