ユミコ(益田祐美子)は主婦で映画プロデューサー!旦那や娘の今や年収と作品は?

スポンサーリンク

「激レアさんを連れてきた」に出演の

主婦・ユミコさんこと映画プロデューサー、

益田祐美子さんは、

「普通の主婦だったのに自分の娘が主演する

映画を作ろうと思って大奮闘した結果、

イランの映画賞を総なめにした上に

そのまま映画プロデューサーに

なっちゃった人。」

として紹介されています!

今ではすごく有名な映画プロデューサー

として活躍されている益田祐美子さん。

これまでどんな経歴で、

また、どのような作品をプロデュース

されてきたのでしょうか?

マスダユミコ(益田祐美子)の年齢や大学などのプロフィールは?

https://jasonwinterstea.jp/blogs/interview/interview-201802

名前 :益田祐美子(マスダユミコ)
生年 :1961年
年齢 :56歳0r57歳
出身 :岐阜県高山市生まれ
大学 :金城学院大学卒業

益田祐美子さんは金城学院大学卒業されています。

その卒業論文、

「高齢者用商品開発への提言と実際」が

商品研究大賞受賞されております!

まだ学生なのにスゴイですね!

しかも、

新婚旅行費用のために応募したという

通産省エネルギー大賞優秀賞にはも

翌年には受賞されています。

その後、

NHK岐阜・名古屋でニュース、

子ども向け番組に出演。

月刊『Home Economist Wise』誌記者を経て、

株式会社平成プロジェクトを設立、

代表取締役社長に就任し、

現在に至っています。

肩書としては、

内閣府
「生活者の観点からの地域活性化調査」委員

第2・3・4回経済産業省ものづくり大賞審査員

「瀬戸内国際こども映画2011」
総合プロデューサー

防衛省航空幕僚幹部援護推進委員

「ヒロシマ平和賞」選定委員

などたくさんあり、とても幅広く

活躍されている女性なんですね!

そんなキャリアウーマンの

益田祐美子さんですが、

元々は普通の主婦だったそうで、

「激レアさんを連れてきた」

で紹介されるくらい、レアな経歴なのですが、

この辺りのことも、調べてみました!

マスダユミコ(益田祐美子)の経歴は?

39歳の時、近所の絨毯屋で見たイランの

ペルシャ絨毯をみて、イランと言う国に

興味を持っていたという、

益田祐美子さん。

2000年の4月に、

当時小学4年生だった

益田祐美子さんのひとり娘が、

ある映画のオーディションに受かり、

益田祐美子さんもステージママとして

ロケ地の青森まで付き添って行きました。

初めのうちこそわくわくしていましたが、

撮影現場は寒いし、とにかく待たされる。

しかも親が不倫して子供が耐えるという内容で、

「こんな映画はいやだ、私降りる」と

娘さんが言い出してしまい、

ここで降りては皆さんにご迷惑をかけることになるので、

「ママ貯金があるから、

それであなたが主役の映画を作ってあげる。

だからこの現場はやり通しなさい」

と言っちゃったそうで、

このことを娘さんがしっかりと

覚えていて、映画の撮影終了後に、

「ママ、私との約束どうなった?」と。

言われたために、

映画をつくることになってしまったそうです。

映画を作るとなると、

何千万~億単位の資金が必要ですね。

一般家庭には到底難しい金額のはずです。

しかし、

このころ、益田祐美子さんには、

3000万円の貯金があったそうです。

この貯金も益田祐美子さんのキャリアウーマンぶりが

分かるエピソードで、

何と株で3000万円もの貯金をされていたのだとか!

それはある月刊誌の記事を益田祐美子さんが

書いたおかげで、

倒産の危機から、2年間で3000万円の黒字に!

会社組織にするので、会社から株を半分分けて

もらったそうなんです。

凄すぎですね!

激レアさんでは普通の主婦といっていますが、

映画プロデューサーになる前から、

超優秀な方なのでしょうね!

このお金を原資に映画作りを始めた

益田祐美子さんですが、

機材などにこだわっているうちに、

製作費は1億5千万にもなっていました。

映画作りの為の資金は残り1憶2000万円。

どのように資金を集めたかと言うと、

企業からの協賛でした。

映画協賛に慣れていなくて、

作品に関わりのある企業の企業のトップと

会ってお話をされたそうです。

その会社のことを全部調べ、

世界の情勢も全部頭に入れて、

でもそういうことは表に出さないで、

ニコニコしながら

「何も分からないんです、教えて」

と言うと、そのうちに心の扉が開き、

その開いた懐にはいって本題を切り出す・・・。

誰にでも出来ることではなくて、

益田祐美子さんならではの雰囲気が

協力したいと思わせるなにかがあったのでしょうね!

そして映画会社探し。

実際に映画を作るということで、

最初は東宝や東映などにでも、足を運びますが、

「子供が主演では映画はヒットしない」

「原作がないと脚本づくりが難しい」

「経験がなければ一流のクリエーターは集まらない」

と、相手にされなかった益田祐美子さん。

そのころ、

子供を主役にしたイランの映画

『運動靴と赤い金魚』が

アカデミー賞外国映画賞をとったことを

思い出し、

それでイランに飛んで、『運動靴~』の

マジッド・マジディ監督にお会いし、

「自分は映画が作りたい」と話をしたそうです。

すると、

「どういうお話?」ときちんと話を聞いてくれたそうで、

その場で契約して、契約金を置いて帰ってきたそうです。

すごい行動力と決断力ですね!

ついに映画作りへ!しかし、契約の失敗が!

映画プロデューサーとして大切なことは、

作品の骨格を決め、監督を決め、お金を集め、

契約を結ぶことです。

監督はイラン人、制作資金は何とか調達したものの、

契約で益田祐美子さんは大変な失敗をしたそうです。

両国の弁護士が事前に話し合い合意した

契約書の一項、

「ワールドセールスは日本側にある」

という内容が、なぜか

「イラン側にある」

と書き替えられていたのです。

そうとも知らず、現地に行ってサイン。

イラン側が契約直前で内容を擦り替えていたのです。

それを日本に持ち帰り配給元に契約書を見せると、

「どうして確認しないでサインしたんですか!
これでは出資はできない」と・・・・・。

この契約書が有効になったら、

映画はイランのものになってしまう。

全てを失うことに・・・・?

翌週、益田祐美子さんは単身イランに飛び、

担当者に強く抗議するとイラン側の

責任者が出てきて、

「契約書を作り直してあげるから、
いくら払えるんだ」

と言ってきたそうです。

益田祐美子さんは、

「私は映画のために、貯金は全部使った、
家も根抵当に入れ借金もした、
車も売った、身体は売れない。
このままじゃ日本に帰れない」

と、怒りが募ってきて契約書を破り始め、

泣き始めていました。

さすがにイラン側も人間、

交渉相手の覚悟を理解してか、

しぶしぶ契約書を作り直してくれることになり、

無事に製作へ!

その後も、

イラン人の監督が予想以上に撮影に

時間をかける人で途中で予算不足になったり、

米同時多発テロ勃発で全てが

白紙になりかけたりと、

何度もくじけそうになりましたが、

無事に公開に至りました!

スポンサーリンク

https://heisei.pro/works

この、イランとの合作映画『風の絨毯』は、

2003年ファジール国際映画祭で観客賞など

三部門を受賞!

日本でも東京国際映画祭の特別招待作品となり、

話題になりました。

しかし、興行的には大ヒット作にはならず、

益田祐美子さんは出資者に返金できず、

また益田祐美子さんもお金を失いました。

もう映画は作らない、と思ったその時に、

『風の絨毯』の映画に出演した三國連太郎さんが、

「あなたはイランとの合作映画を作ったことで、
これだけの人脈と体験を得たのだから、

もう1本映画を作って、
未来につながる財産にしなさい」

と励ましてくれたそうで、

今に至るまで映画をプロデュースされています。

この映画作りについては、

益田祐美子さんが著書を出版されています!

3億5千万円を集めた主婦は、世界をつなぐ映画プロデューサー。 (単行本・ムック) / 益田祐美子

映画づくりはロマンとソロバン! 女プロデューサー泣き笑い奮戦記

マスダユミコ(益田祐美子)のプロデュース映画作品は?

益田祐美子さんは、2003年

日本イラン合作 劇映画「風の絨毯」
(カマル・タブリーズィー監督)で、

出身地飛騨高山の祭りと異文化交流を描き、

映画プロデューサーデビューをされており、

その後もコンスタントに

映画作品をプロデュースされています。

2005年

ドキュメンタリー映画
「平成職人の挑戦」乾弘明監督

2007年

ドキュメンタリー映画
「蘇る玉虫厨子」乾弘明監督

2009年

劇映画「築城せよ!」古波津陽監督

2011年

日韓合作ドキュメンタリー映画
「海峡をつなぐ光」乾弘明監督

2013年

日韓合作ドキュメンタリー映画「李藝」

2014年

劇映画「瀬戸内海賊物語」

2015年

劇映画「シネマの天使」

2016年

ドキュメンタリー映画「サンマとカタール」
ドキュメンタリー映画「ハイヒール革命!」

2018年

被災地で一所懸命に生きている人たちの
日常を追った映画『一陽来復』

益田祐美子さんは、

映画作りの輪を日本から、韓国、

カタールにも広げ、数々の映画を製作してきました。

特にドキュメンタリー映画では

「教科書では教えない歴史的事実」

「技術の伝承」

などをテーマに選び、

人と資本を結集し劇場公開を行っています。

組織に属さない女性の強さと弱みを生かし、

国や組織の枠を超えた作品を製作されています。

映像を通じて、100年先まで残る現代の

語り部になりたいと願っているそうですよ^^

マスダユミコ(益田祐美子)の年収は?

映画プロデューサーとは、映画制作全体の

統括を行う仕事です。

作品制作におけるスタッフ人事や

予算調整をはじめ、

作品の宣伝活動や資金集めのための

広告主との折衝も自ら積極的に行います。

制作した作品の商業的な成功を一手に担う、

責任のある仕事ですので、

年収もそれなりに高給です。

転職会議調べによると、

プロデューサーの平均年収は493万円。

特に40代以降、実力や人脈などが広がると、

平均年収は842万円となっており、

水準の高さがうかがえます。

最高では1600万円もの

収入もあるようですので、

益田祐美子さんは、

1000万円程はあるような感じがしますね。

マスダユミコ(益田祐美子)の娘の今現在や夫は?

益田祐美子さんは、

大学の卒業論文が翌年、

新通産省エネルギー大賞優秀賞を受賞し、

この応募のきっかけが、

婚旅行費用のために応募したと明かしていますので、

ご結婚されたのは23歳頃なのかもしれません。

そして、

娘さんですが、現在は芸能活動などはされていないようで、

2017年のある講演会で、

「明日は娘の結婚式でございます(場内拍手)。」

http://rintaroh.net/archives/5375810.html 

とあったので、ご結婚されているようですね^^

益田祐美子さんが映画作りを始められ、

今でも継続出来ているのは、

娘さんや旦那様の協力が大きいと言います。

そもそも旦那様は映画作りには、

反対だったそうで、

「映画は危険だ。家をとられるかも
しれないし、家庭が崩壊するから止めろ」と、

ずっと言われていたようです。

ところが、娘の為に作った映画の

オーディションの最終審査を控えたある日、

娘が「パパとママに話がある」と

切り出しました。

「オーディションは棄権する。
この映画はママがプロデューサーでしょう。

もし私が主役に選ばれたら、
贔屓されたって思われる。

落ちたら落ちたで、ママも私もいやな思いをする。
だからママは審査に加わって、
いい子を選んでほしい。私は裏方で手伝うから、

いい映画にして絶対ヒットさせて」

と言ったそうです。

それを聞いて旦那様は涙を流し、

それまで反対していたのがサポートしてくれる

ようになり、

実際に買い物や料理はもちろん、

休みの日には掃除もしてくれるようになったそうです。

もの凄く理解のあるご主人で、

そうさせた娘さんの思いやる心がまた素晴らしい!

その娘さんを育ててきたのは益田祐美子さんと

旦那様ですから、素敵なご一家ですよね!

映画『風の絨毯』に出演した

三國連太郎さんからも、

「益田さんはすごい。何がすごいって、
だんながすごい(笑)、感謝しなさい」

と言われているようですね。

そのような家族に恵まれたのも

益田祐美子さんの人間力なのでしょうね^^

まとめ

『風の絨毯』は高山の祭山車に

イランの絨毯をつける物語。

益田祐美子さんが映画をつくり終えて感じたのは、

日本には伝統文化がたくさんあって、

職人の技を伝承するところで人が育っていく。

そういう技術や技能、思いや哲学を

映像にして次の世代に引き渡すことが

益田祐美子さんの仕事だと開眼したそうです。

そして、

実は益田祐美子さんには、

もう一つ目標があり、

60歳までは映画プロデューサーをして、

そして60歳になったら、親の遺言を守って

故郷の飛騨高山に帰り、

農業をやったりしながら、地域のために働きたいそうです。

益田祐美子さんは現在56~57歳ですので、

今度担当する映画が最後?

になるのかもしれませんね。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする