激レア田村はつゑの食堂「はっちゃんショップ」場所やメニューと口コミは?

スポンサーリンク

激レアさん出演の田村はつゑさんは、
20年以上も赤字続きの「はっちゃんショップ」
を経営されています!

食堂を赤字でも続けるのは、
田村はつゑさんの壮絶な人生経験が根底にある訳ですが、

それにしても20年以上も赤字を年金で
補填しながら、経営を続けるというのは、
よほど強い信念をもっていなければ
続かないでしょう。

今ではこの経営や田村はつゑさんの人柄が話題になり、
ここ数年は国内・海外問わず、取材が殺到している
そうですね!

田村はつゑさんの生い立ちや
「はっちゃんショップ」
の場所やメニューも調べてみました!

田村はつゑさんの年齢や家族などのプロフィールは?

https://jisin.jp/domestic/1623515/

名前  :田村はつゑ
生年月日:1935年9月12日
年齢  :82歳
出身  :群馬県桐生市
職業  :はっちゃんショップ(食堂)経営

田村はつゑさんの
父・留吉さんは機織り機の修理、
母・サダさんは機屋で仕事をしていました。

田村はつゑさんには3歳年下の妹さんのキミコさんと、
5歳年下の弟さんの貞吉(さだきち)さんがいらっしゃいます。

はつゑさんは、
21歳の時に、田村昇三さんと結婚され、
3人のお子さんに恵まれており、

夫である田村昇三さんとは死別されています。

田村はつゑさんの生い立ちが壮絶!

長女の田村はつゑさんが誕生以降、

1938年、渡良瀬川が氾濫し家をなくす。
1941年、太平洋戦争が始まると大黒柱の留吉さんは徴兵される。

という苦難に遭います。

家は裕福ではありませんでしたが、
母親愛情いっぱいに育てられたそうです。

しかし、

父が復員後、母は病に倒れ、
32歳という若さで息を引き取ってしまいます。

すると1年経たないうちに父は継母を連れてきたのです。
その継母は父・留吉さんの昔からの浮気相手でした。

今も昔も良くある話ですが、
継母からは疎まれていた田村はつゑさんは、
学校にも通わせてもらえず、

働きに出させられます。
畑や山の仕事、子守りの仕事・・・。
田村はつゑさんだってまだ母に甘えたい子供だったでしょうから、
本当に辛かったと思います。

どこの奉公先の家でも学校には通わせてもらえず、
見かねた学校の先生が掛け合ってくれるも、

赤ちゃんを背負っての授業を続けることも出来ず、
田村はつゑさんは、学校に通うことを諦めてしまいます。

その為、
いまでも読み書きはひらがなだけなんだそうです。

戦前までは丁稚奉公といって10歳くらいの子供が
商人などの家で無給で働くことが多かったようですが、

戦後でもこういう奉公が行われていたことに
驚きです。

父や継母は田村はつゑさんが稼いだ僅かばかりの給金を
前借していくという親として酷く身勝手な行動をされていたそうで、

本来ならば遠足や修学旅行といった
学校行事の楽しみを味わうことなく、
働き続けていたというのは
本当に心が痛みます。

17歳になった田村はつゑさんは、
住み込みの機織りの職に就きますが、
このときも父が、
3年分の給金1万円を前借りしていきます。

本当にひどいもんです。

自由に使えるのは月々の小遣い200円だけという生活の中、
映画を見るのが、唯一の楽しみだったのですが、
その映画館で、夫となる田村昇三さんと出会いました。

1957年、田村はつゑさん21歳の時に結婚されます。

しかし、結婚後も、父と継母はたびたび金の無心に来るので、
自分の新しい家族を守り、
子どもたちを育てるため、

常に2つ3つとパートを掛け持ちして働きます。

それでも家計は苦しく、
着飾ることなど考えたこともなく、
服はいつも一緒で同僚には馬鹿にされる・・・。

ここまで田村はつゑさんが頑張るのは
夢があったからです。

幼いころに叶わなかった
修学旅行です!

そのためにいつもの平日の仕事の給料は、
家族の生活の為のお金、

日曜日の結婚式場の仲居の仕事は
自分の夢の為のお金、

と区別して15年かけて
300万円もの大金を貯めたんです!

田村はつゑさんがお金を貯め始めた
1970年代は大卒の初任給が8万円、
スーパーのレジの時給が350円という時代ですから、

300万円もの大金を貯めるとは相当な
継続した努力と根性が必要ですね!

このお金を資金に57歳で
念願の修学旅行=日本一周の旅に出かけた
田村はつゑさん。

夫も当初は反対されていたそうですが、
田村はつゑさんの意志の強さに感服し、
退職金から100万円の餞別をくれたのだそうです!

しかも成人した子供からも100万円の餞別が送られたそうです。

きっとお子さんたちも、
お母さんである田村はつゑさんが苦労しているのを
ずっと見ているから、
何かしてあげたかったのでしょうね^^

漢字が読めない田村はつゑさんでしたが、
行った先々で、たくさんの人の情けに触れ、
全都道府県を制覇して、無事に故郷・桐生に戻ってきます。

田村はつゑさんが
「はっちゃんショップ」を始めたきっかけは?

日本一周から5年後、
田村はつゑさんは、
長年パート勤めをしていた会社を退社されます。

ゆっくり老後を過ごすのかと
思いきや、

旅先で沢山のひとに親切にして
もらったという経験から、

「人にはよくしてあげたい」という
シンプルな田村はつゑさんらしい
優しい気持ちで、なんと62歳で食堂を起業されます!

しかも

■時間無制限で500円食べ放題!

■小学生以下無料!

■おかずが少ない時は300円!または無料!?

■県外のお客様は無料!(開店当初のみ)

■逆にジュース代をくれる?

という破格のコストパフォーマンス!
この料金システムと田村はつゑさんの飾らない人柄が
話題となり、

客足は伸びるものの、
その分お店の赤字は膨らんでいきます。

それでも赤字分は無くなった夫の遺族年金で
補填し、経営をされています。

田村はつゑさんは、

こんなもうからねえことやって
『バカのやることはわかんねえ』ぐらいに
思われてるかもな。

でも幼いころ奉公先で意地悪されたことも、
57歳で出かけた原付日本一周の旅で、
優しくされたことも、オレは覚えてる。

だから人を泣かせるもんじゃねえって思うし、
人にはうんとよくしてやるつもりだよ

https://jisin.jp/domestic/1623515/

スポンサーリンク

幼いころに奉公先で受けたイジメや
父や継母からお金を巻き取られても
決して恨まず、

自分と自分の家族を守る為に
ひたむきに仕事に取組み、

自分の夢を叶え、

その恩返しで激安食堂を起業した
田村はつゑさん。

人間的な懐の深さと優しさを感じますね^^
若くしてお母様を失っていますが、
きっと愛情をたくさん受け取り、

田村はつゑさんの人間力の基礎となっているのでしょうね!

田村はつゑさんの「はっちゃんショップ」の場所は?

今では大人気食堂となった、

はっちゃんショップは群馬県桐生市にあります!

【店名】  はっちゃんショップ
【住所】  群馬県桐生市相生町2-1024-3【電話】  0277-52-8346
【営業時間】11:30~売切れ次第終了
【定休日】 日曜日・祝日

駐車場は10台停められます。

車で来られる方も安心して停められますが、
混雑時は停められない場合もあるので、
事前に電話して訊くと良いそうです。

0277-52-8346

11時半から17時までやっていますが、
12時過ぎには行列が出来るので、
早めに行ったほうがいいようですね^^

田村はつゑさんの「はっちゃんショップ」の
メニューと口コミは?

メニューは日替わりのいわゆる家庭料理で、

大皿に盛られたものをバイキング形式で
盛っていきます。

焼きそば
茹でたブロッコリー
トマトのスライス
卵焼き
白菜の漬物
茹でたじゃがいも
しらす
唐揚げ
キンピラゴボウ
煮卵
フルーツ
カレー
味噌汁
ご飯

お客さんは毎日30人程で、
多い時で70人もいらっしゃるそうです。

まとめ

田村はつゑさんは、

「いつ死んでもいいように精一杯営業している」
と一切手を抜かず、

一生懸命営業されています。

苦しかった時期が長かった田村はつゑさんですが、
それでも人への感謝の恩返しがしたいと
働くのは本当に頭が下がる思いがします。

スポンサーリンク