2018年2月4日(日)放送の情熱大陸に、
山勢拓弥(やませたくや)さんが出演されます!
カンボジアでのごみ山で働く子供たちの生活を変えようと、
何の資格も経験も無しに、日本を飛び出した山勢拓弥さん。
その情熱は彼の性格にあるようでした。
経歴やカンボジアに行くまでの経緯をお伝えします!
目次
山勢拓弥さんの年齢や出身などのプロフィール
http://www.ytv.co.jp/chikyubin/oa/article20151108.html
生年月日: 1993年8月9日(24歳)
出身: 東京都足立区(福岡県遠賀郡岡垣町育ち)
中学: 明治学園中学
高校: 明治学園高等学校
大学: 獨協大学国際教養学部 · 言語文化 中退
山勢拓弥の経歴は?
高校時代は、
高校2年生の時、消防士に憧れていましたが、
担任の先生、両親に止められ断念。
また、
サッカー部では2年主将を務め、明治学園初の2部リーグへと導いたそうです!
このままいけば、某有名大学でサッカー入学も可能でしたが、
高校3年の冬、サッカー部の悪口を言われ、
暴力沙汰を起こして推薦を取り消されてしまいます。
消防士を目指したり、
サッカー部の悪口がきっかけでムキになって喧嘩をしてしまうところに、
情に厚く、正義感の強さを感じます。
だからこそ、サッカー部の主将を任されたのでしょうね^^
正義感はあるものの、やや喧嘩っ早く、ヤンチャだった山勢拓弥さんは、
高3の冬休みに、NPO法人ロシナンテスの代表の公演の中の、
「日本は何でもあるけど、何かがない。スーダンは何もないけど何かがある。」
という、日本しか知らないに山勢拓弥さんにとって引っかかる言葉を聞き、
心機一転、スイッチが切り替わます。
大学入学後、NPO法人ロシナンテスの代表の言葉をうけ、
東北震災の復興支援に関わり、
平日は東京、休日は宮城県名取市で復興支援活動
という生活をしていた山勢拓弥さん。
そこで、
NPO法人ASHOKAに声をかけられ、
友人と一緒に「ボラコン」というプロジェクトを始めます。
※NPO法人ASHOKA japan.ashoka.org/
特別な人だけではなく、性別、人種、貧富、学齢、障害があるかないかなどを超えて、
全ての人がおかしいと思ったことを変える当事者になる世界を築くことを目指している。
友達や被災地の方、ボランティア同士など、
さまざまな形の「絆」を強めることができる企画。
プロジェクト立ち上げは、
大学1年生の頃の話ですから、18、19歳の若者が復興支援の為に働き、
プロジェクトを立ち上げるって相当な行動力のある方だなと思います!
それ以前には、獨協大学で、「White Campus」という
世界各地に行き、見て経験したことを、
大学、社会へ幅広く共有する団体を立ち上げ、代表を務めています。
この正義感や行動力は生来持って生まれたところも大きいのかもしれません。
山勢拓弥さんがバナナペーパー事業を始めたきっかけ
ある日、
スーダンで働く国際NGOの理事長と出会った山勢拓弥さん。
カンボジア支援団体「共に歩こう」という団体と一緒にカンボジアを訪れ、
「共に歩こう」の代表と娘さんの想いに共感し、
大学の長期休みを使い、カンボジアへ。
世界遺産のアンコールワットで知られる一大都市のシェムリアップの近郊で、
ある光景を目の当たりにします。
シェムリアップから20分くらいのところに東京ドームくらいのゴミ山がある。
まるで外界から閉ざされた異国のようなところだった。車を降りた瞬間のすごいに臭いは鼻にこびりついて、離れなかった。
大人たちに混ざって、子供もゴミをあさっていた。ゴミからビンや缶を拾ってお金に換える「仕事」をしていた。
3人の子供たちに話を聞いてみると、親も兄弟もいるということだった。学校にもいっていた。では、なぜ彼らはこの仕事をしていたのでしょう。聞く気はなかった。
彼らは彼らなりに一生懸命生きています。
「産まれたところや皮膚や目の色で、いったいこの僕のなにがわかるというのだろうーTheBluehearts 青空ー」
この歌詞が僕の頭の中で流れていた。https://white-campus.jimdo.com/山勢拓弥/
http://asenavi.com/archives/10483
カンボジアにはゴミ焼却施設がないため、ゴミ山は年々巨大化。
ゴミ山の近くで暮らしながら、集めたビンや缶を売って生計を立てている村人も。
注射針などの医療廃棄物も多く、悪臭やハエ、汚水など環境は劣悪なんだそうです。
「この子たちがゴミ山に来なくていいシステムを作りたかった」
という山勢拓弥さん。
帰国後、両親の反対を押し切って
本格的に活動を始めるため大学を中退。
ゴミ山で働く人々の生活・教育水準の向上を目指す
「一般社団法人クマエ」を立ち上げます。
http://kumae.net/ja/about_kumae/
そして、
自生するバナナの木の繊維から作られる“バナナペーパー”工房に、
5人の従業員を雇用。
バナナペーパーブランド「Ashi」をたちあげました。
ペーパーPCカバーやペンケース等として土産物屋で販売しているそうです。
※画像はすべてKumaeHPから引用
山勢拓弥さんはこのバナナペーパー作りを、
村の新たな産業にしたいと考え、
将来的には従業員を増やして、雇用を拡大し、
村の生活水準を挙げていくことを目標としています。
また、
無料で日本語を学べるフリースクールの運営も行っています。
https://readyfor.jp/projects/cambodia-for-dream
観光客が多いシェムリアップでは、日本語が使えると高い給料で雇ってもらえるため、
「ゴミ山でその日暮らしをする子供たちに日本語を教えることで、
将来日本語を使う職業についてもらうこと」を目標として設立しました。
しかし、
バナナペーパー事業とフリースクールの日本語学校の両立がうまくいかず、
大変な時期もあったようで、
経営学を一から学ぼうと、
現在は現地の大学で経営学を学び、
事業と学校の運営の両立を目指しています。
異国の地で奮闘する山勢拓弥さんに元看護士だという両親からは、
「方法は違っても、人の役に立ちたいという思いは私たちと同じ。
人の役にたてる拓の姿を思い浮かべると、誇りを感じます」
と手紙をもらっていたそうです。
これは嬉しくて力になりますね!
山勢拓弥さんの他にも、カンボジアの発展に注力した人物がいます。
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山勢拓弥さんの彼女は?
山勢拓弥さんが
バナナペーパー事業をやり始めた時を支えていた彼女がいたようです。
ちょっとの貯金を切り崩しながら事業をやり始めて。最初は通帳のお金がどんどん減っていって、0になりマイナスになってということもあり、怖かったです。そういう時は情けない話ですが、カンボジア人の彼女にお金を借りながら生活したこともありました…。
http://asenavi.com/archives/10483
現在はこの彼女と続いているのかどうかは不明ですが、
優しそうな雰囲気で、モテそうですね^^
日本語学校を卒業した子供たちは?
2017年の9月には4人の子供たちが卒業したそうです!
「こんにちは」すら言えなかった子ども達が
今では将来の自分のことを日本語で言え、
日常会話もスラスラと言葉がでてくるようになったそうで、
中には日本語検定の4級を取得した子もいるようです!
そして、思い描く将来の夢が、以前は「ゴミ山で働く、農家、医者」と、
範囲が限定されていましたが、
日本語学校の教育のおかげで、日本語・英語ガイドなど、視野も
も変わってきました。
日本語学校を卒業したこどもの今後は?
日本語のガイドで就職するためには、
村からシュリムアップ市内に通勤が必要なのですが、
バイクで40分ほどかかってしまううえ、
身内のいない場所へ10代の子供を働きにださせるのが
危険だと考える親御さんの為に、
シュリムアップ市内から5分ほどの場所にシェアハウスを建設しています。
https://readyfor.jp/projects/kumae/announcements/61373
建設費やその後の子供たちが暮らせる費用は、
クラウドファンディングから募り、
2017年7月に4,000,000円の寄付金を達成したようです!
https://readyfor.jp/projects/kumae
日本語学校やバナナペーパー事業の寄付はどこで出来る?
情熱大陸を見て、山勢拓弥さんの活動に
寄付をしたくなった方もいるのではないでしょうか?
現在、Kumaeで寄付を募集している活動は、
『ゴミ山資料館建設』です。
番組出てきたゴミの山は、
近いうちに閉鎖され、新しいゴミの山候補地に運ばれます。
つまり、また、ゴミの山が作られるのです。
Kumaeでは、人間の負の遺産として
「ゴミ山資料館/ギャラリー」
の建設を検討されています。
その「ゴミ山資料館」建設費用の寄付を募っています。
気になる方は、info@kumae.netにメールでお問い合わせを!
※Kumaeのサイトにも載ってます。
http://kumae.net/ja/about_kumae/
また、バナナペーパー事業への寄付は、
バナナペーパーで作られた商品を、
カンボジアの山勢拓弥さんが運営する、
「アンコールナイトマーケット店」で買う方法があります。
今のところ、直接カンボジアに行かないと無いようですね。
まとめ
山勢拓弥さんの行動力には驚きますが、
今後は、カンボジアのプロサッカー選手になって、
自身の活動を広めていきたいそうですよ!
カンボジアを離れることは無いという山勢拓弥さんの今後の活躍を見守り、
寄付という形でも応援したいと思います。