横川竟 (きわむ)高倉町珈琲会長の年収と経歴や経営方針!兄弟との関係は?

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カンブリア宮殿に出演された
横川竟(よこかわきわむ)高倉町珈琲会長は、

横川4兄弟の三男で、
すかいらーくを創業者した外食レジェンドの一人です。

横川竟会長は76歳にして新に高倉町珈琲を開店され、
伊集院光さんが絶賛した超ふわふわパンケーキが話題となり、
高倉町珈琲が注目を集めるようになりました!

シニアを中心に圧倒的な支持を得て急拡大した
高座町珈琲を開業された横川竟会長の

年収や経歴と経営方針、ご兄弟との関係について調べてみました!

横川竟会長の年齢や大学などのプロフィールは?

横川竟

https://style.nikkei.com/article/

名前  :横川竟(よこかわ きわむ)
生年月日:1937年11月1日
年齢  :80歳
出身  :長野県諏訪市
職業  :きわむ元気塾塾長。高倉町珈琲会長。
5人兄弟の三男として長野県諏訪市に生まれた横川竟会長。
ご兄弟は、
長男:横川 端 (よこかわ ただし)
次男:茅野 亮 (ちの たすく)
三男:横川 竟 (よこかわ きわむ)
四男:横川 紀夫(よこかわ のりお)
次男の亮さんは親戚へ養子に出されているので姓は違いますが、
ご兄弟です。
横川竟会長にはお姉さんがいるようですが、
直ぐ上のお姉さんなのかどうかは不明です。

横川竟会長の生い立ちは?

横川竟会長の父は教員で、
「横川中隊」と呼ぶ開拓団のリーダーになったため、
横川竟会長が3歳の時に一家で満州に渡っています。

ロシアとの国境ちかくの町で山もなく、
どこまで行っても平原という大草原のなかで、
羊や山羊や豚といっしょに暮らしていました。

父が病気で亡くなったため、
約3年間の満州暮らしを経て長野県に戻りますが、
とても貧しかったそうです。

横川竟会長は小学校3年生から新聞配達を始め、
長男の端(ただし)さんは旧制学校をやめて、
精工舎(現セイコークロック、セイコープレシジョン)に入社。

次男の亮(たすく)さんは伯母の実家である茅野家に養子に。
姉は呉服屋の住み込み、
母は学校給食の仕事を持ち、
家族総出で働きますが生活は苦しかったそうです。

「兄たちは頭のできもよくて、弟もよかったもんだから、
ぼくばかりが目立っちゃった」

https://in-shoku.info/foodfighters/vol604.html

勉強が嫌いで、
長野県諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業後は、
東京の冷蔵庫製造工場で住み込みで働きます。

https://style.nikkei.com/article/

しかしここが今でいうブラック企業で、
劣悪な労働環境で横川竟会長は盲腸を悪化させて
大腸と癒着し、入院。
長野の実家に戻ります。

そして、
この先どういう仕事が良いか考えたとき、
必ず消費して、なくなる食品いいとの結論に達し、

1955年に東京の築地にある乾物問屋「伊勢龍」に移ります。
従業員全員の3度の食事を作るという過酷な労働でしたが、

それまでのくらしと比べると、
白ご飯を一杯食べられるというだけで天国に思えた
という横川竟会長。

独立するつもりだからね。
食品は倒産する確率の低い商売だと思ったから、
それを勉強するために築地に行ったんです。

中卒で、学歴もないわけでしょ。
できることも限られている。しかも、まだ小僧です。
ずっとオヤジの顔色をうかがっていた

https://in-shoku.info/foodfighters/vol604.html

ここで横川竟会長は素直に言われたことを吸収し、

「商売はうそをつくな。いい物を売れ、余分にもうけるな」

という「伊勢龍」の社長の言葉に象徴されるように、
商売の原理・原則を叩き込まれ、
その後の経営者としての基盤が出来上がったと語っています。

手取りは入社時に月1000円でしたが、
4年後には8000円になるほど、

社長の信頼は厚く、
優秀な社員だったようです!

横川竟会長の経歴と経営方針とは?

1962年、横川竟氏が24歳の時、
「ひばりが丘団地」前の商店街内雑居マーケットの一部に
兄弟4人で「ことぶき食品」を開業。
今でいうコンビニのような感じのお店でした。

団地で暮らす母親たちをターゲットに
食品を販売し繫盛していたものの、
大手スーパーの進出に伴い業績が悪化。

そのため、

商売を勉強しに兄弟でアメリカ旅行へ出かけ、
日本ではまだ浸透していなかった
ファミリーレストランと出会います。

帰国後、

ひばりが丘団地に
ファミリーレストラン
「スカイラーク」(後に平仮名表記に変更)を開業。
「スカイラーク」の「ラーク」は
ひばりを意味する英語larkが由来だそうです。

「なぜレストランだったかといえば、
ビジネスとしていちばん遅れていたからです。

キャバレーか、レストランか、
最終的にはこの2つの選択肢が残った。

それで、
キャバレーはちょっとなっていうことで、
レストランになったんです(笑)
https://in-shoku.info/foodfighters/vol604.html

日本一おいしいハンバーグをつくろうと
兄弟力を合わせて経営やメニュー作りまで頑張ったという
横川竟氏。

当時、スーパーに並んでいるハンバーグの中身は、
ウサギやウマの合いびき肉!というから驚きですね。

そういうのが主流の時代に、すかいらーくは、
ちゃんとした豚と牛の合いびき肉のハンバーグと
ホテルの有名シェフを口説き落として、最高のソースもつくり、

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しかも380円でメニューも豊富。

オイルショック後のインフレで景気が落ち込んでいた時も
値上げはせず、味も一切、落とさなかったという横川竟氏。

「全てはお客様のため。」

商売の基礎を学んだ「伊勢龍」の社長の言葉

「商売はうそをつくな。いい物を売れ、余分にもうけるな」

それを原点として貫いた結果、

1992年には1000店舗出店を達成し、
外食産業のトップ企業にまで成長を遂げます!

すかいらーくの取締役などを歴任後、
横川竟氏は子会社の1年で8億円の負債をつくった
「ジョナサン」に移り、
5年間で株式上場するまでに育てました!

わずか5年で、苦境のレストランを立て直したばかりか、
株式を上場させるまでに育て上げたので、
「経営の神」と呼ばれてもおかしくないですね!

そして

2003年に、
兄弟全員と共にすかいらーくの経営から退きますが、

株価下落の窮地で
起死回生のMBO(経営陣が参加する買収)を決断 。

2006年に、
すかいらーく代表取締役会長兼最高経営責任者に就任し経営に復帰。

2008年に、
業績不振を理由に臨時株式総会と代表取締役会で退任が決定。

この一連の退任・復帰後の再退任には
横川竟氏と野村証券側との取引のやり取りがあり、
退任せざるを得なくなったようです。

詳しくは、野村から「社長解任」通告 500億円調達であつれき
に書かれています。

経営の第一線から退いた後も
講演や外食店のアドバイザーとして活躍され、

2013年に76歳にしてパンケーキを主役としたコーヒー店
「高倉町珈琲」を東京八王子に第一号店を出店開業!
2014年に飲食会社の高倉町珈琲を設立されています。

高倉町珈琲のパンケーキは、
伊集院光さんも大絶賛!

もの凄く美味しそうですね!!!

これは人気が出るのもうなずけますね^^

横川竟会長は、

現在は高倉町珈琲の代表取締役会長をされながら、
きわむ元気塾を開き、
後進の指導にもあたられています。

横川竟会長と兄弟との関係は?

長男の横川端氏は、
諏訪精工舎(現セイコーエプソン)を退社し、
ことぶき食品有限会社取締役になっています。

すかいらーくの専務取締役、代表取締役会長、
取締役グループ統括機構代表理事、取締役最高顧問などを歴任。

東京交響楽団会長を現任し、
藍綬褒章受章、勲二等瑞宝章受章。

四男の横川紀夫氏は、
お兄さんとは3歳年が離れれています。

紀夫氏と横川竟氏はとにかく
ビジネスで独立したい気持ちが高く、

一緒にビジネスをやろうと
2年で25万円を貯めようと決るほど、
仲が良かったようですね。

すかいらーく常務取締役に就任。
有名な ディーンアンドデルーカジャパンの社長にも就任。
現在は会長です。

尚、次男の茅野亮氏は2010年5月に逝去されています。

兄弟は経歴にもあるように、
力を合わせて会社を経営されてきました。

途中、会社を発展させるための
ぶつかり合いもあったようですが、
関係は良好です。

それにしても兄弟皆が経営の才能があって、
社長、会長になっているとは
素晴らしいですね。

横川竟氏の年収は?

実際の今の年収は、正直不明なのですが、

2008年にすかいらーくを売却した際に受け取った金額が、

520億円!!!

単純に4人で分散しても、

一人130億円になります!

もう働かなくても十分暮らしていけますが、

高座町珈琲店を開店したところをみると、

根っからの実業家なのでしょうね!

まとめ

貧しかった少年時代や、
厳しい修行で商売の原理・原則を学び、

経営者としての根源を磨いていった横川竟会長。

高倉町珈琲店でも

その経営手腕を発揮しているのでしょうね!

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