吉岡秀人(医師)の経歴や収入源は?ボランティア内容と家族や名言とは?

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「世界ナゼそこに?日本人」に出演の

吉岡秀人(よしおか ひでと)医師は、

カンボジアやミャンマーで医療活動を

無償でされており、

吉岡秀人さんといえば、子供の医療を無償で

行う医師として過去には「情熱大陸」等にも

出演され、

数々の名言を残されていることでも

有名だそうです。

平成7年からミャンマーで医療活動に従事

した吉岡秀人さんは、

平成16年4月には国際医療ボランティア団体

である「ジャパンハート」を設立されています。

今回は吉岡秀人さんの経歴や大学、

ボランティア内容や家族と吉岡秀人さんの

収入源はどこからくるのか、

そして今までに残してきた数々の

名言についても紹介していきます。

吉岡秀人(医師)の年齢や高校などのプロフィールは?

吉岡秀人

https://www.mbs.jp/jounetsu-old/2009/07_26.shtml

名前  :吉岡秀人(よしおかひでと)
出身地 :大阪府吹田市
生年月日:1965年8月12日
年齢  :53歳
出身高校:大阪府立千里高校
出身大学:大分大学医学部

吉岡秀人(医師)の経歴は?

昭和40年に

大阪府吹田市で生まれた吉岡秀人さん。

ご実家は車の部品の縫製工場だったものの、

オイルショック以降は経営が厳しくなり、

高校生の時に残念ながら

廃業してしまったそうです。

その後は母親が営んでいた小料理屋で

生計を立てていたそうですが、

決して裕福なご家庭ではなかったと言います。

そんな吉岡秀人さんが小さい頃というのは

軍人が多くいた時代で、

地元の吹田駅の地下道にも戦争で傷ついた

軍人たちが物乞いをしていた姿を

多く見てきたそうです。

そんな人たちのために、

自分が何かしてあげたいと思うように

なっていったという吉岡秀人さん。

幼少期なんて親への感謝の気持ちさえ

持つことができない子が圧倒的に

多いはずなのに、

そんな小さい頃に他の人のために

何かをしたいと考えられる人など、

なかなかいないですよね。

高校卒業後、

一度大学受験には失敗したものの、

やはり昔見た吹田駅前の地下道の風景が

思い浮かび、

そういった人たちのためにも自分は

医者になろうと決めたそうです。

そして2浪してようやく大分大学の医学部に合格。

家計が厳しい中、

両親が一生懸命働いてサポートしてくれて

いるのに結果を残せない日々は

辛く苦しかった

という吉岡秀人さんですが、

医者になって苦しんでいる人のために

働くことが自分の人生のミッションと考え、

決して妥協せず夢を追い求めていたそうです。

このエピソードからも、

吉岡秀人さんの芯の強さが伺えますね。

そして驚くことに、

吉岡秀人さんは医師になった後に

やりたいことも既に決めていたそうです。

絶対に発展途上国に行くと決めていた

という吉岡秀人さん。

普通なら医学部の臨床実習時代にようやく

興味のある分野が見つかり出す

パターンが多いのに、

医学部に入る前に既に将来的なビジョンが

思い描けていた吉岡秀人さんは、

本当に素晴らしすぎますよね。

そして吉岡秀人さんは大学卒業後には

大阪、神奈川の救急病院に勤務され、

着実に夢に近づいて行きます。

海外に行く医師はたいてい政府の役人や

国連の職員として派遣される

パターンが多いそうで、

海外に行くことを公言していたという

吉岡秀人さんは、

学生時代にはいろいろな医局から

「うちにこないか」

と声がかかるなど誘惑も多かったと

後に明かしています。

しかし純粋に貧しい人たちを助けるためだけに

医者になると決めていた吉岡秀人さんは、

最短で発展途上国に行くための手段として

救急病院を選んだと言います。

いかに吉岡秀人さんが芯の強くブレない人

なのかが伝わってきますよね。

そして平成7年に、ついに吉岡秀人さんは

国際医療援助団体「AMDA」

のプロジェクトに参加。

単身でミャンマー中部メッティーラへ行き、

ミャンマー政府から医療活動の許可を受けて、

念願だった発展途上国での医療活動を開始されました。

吉岡秀人(医師)のミャンマーや
カンボジアでのボランティアがスゴイ!

吉岡秀人

http://www.japanheart.org/support/donate/

そもそも吉岡秀人さんが

なぜミャンマーを選んだのかというと、

過去の大戦の激戦地だったミャンマーで

亡くなった戦没者の遺族会の方々に

頼まれたからだそうです。

遺族会の方々はミャンマーで慰霊を続けて

いましたが、ご遺族の方々もご高齢になり、

それがなかなか難しくなってきた

ということで、

吉岡秀人さんがミャンマーでの活動を

依頼されたそうです。

そしてミャンマーのことを知れば知るほど、

吉岡秀人さんはミャンマーの人たちを

守らなければという使命感に駆られていった

と言います。

日本では国民皆保険制度があり、

どんな過疎地域であっても

日本の医療保険に守られていますが、

日本のような医療保険のないミャンマーでは、

基本的に医療費は全額負担。

病院にかかること、ましてや長く入院して

行う手術などは、多くの人たちにとって

遠い存在なのだそうです。

そんな人たちのために何とかしたいと

感じた吉岡秀人さんは、

医師をめざしてから12年目にして

自分の全財産をつぎこみ、

「ジャパンハート」

というNGO団体を立ち上げています。

吉岡秀人さんのミャンマーでの生活は、

とてもハードなものだったと言います。

当時は、朝5時頃患者さんの診療が始まり、

午前9時頃には政府の病院を巡回するため出かけ、

夕方に家に帰ってくるとまた人だかりが

できていて深夜12時頃まで診察する毎日。

とてつもなくハードな生活ですよね。

日本であればブラック企業として

摘発されていそうな勢いです。

しかしそれだけ医療の需要が高い

ということの裏付けなのでしょう。

そのうち、やけどや口唇口蓋裂など、

手術が必要な子供たちが

やってくるようになったそうです。

しかしミャンマーの診療所は簡易的なもので、

到底手術をできる環境ではありません。

しかし吉岡秀人さんは、

こういう子供たちを助けるために

医者になったのだからどうにか

しなければと思い、

手術台を大工さんに木で造ってもらい、

麻酔などはブラックマーケットで手に入れ、

スタッフに懐中電灯を持ってもらいながら

手術をしたそうです。

そして現地で必要な子供の外科手術を学ぶため、

吉岡秀人さんはいったん日本に帰ります。

岡山と川崎の病院で小児外科医として

勤務して子供の手術の腕を磨きました。

ミャンマーの方たちからしたら

吉岡秀人さんは神様のような存在ですよね。

人のために何かをしたいという純粋な思いだけで、

ここまで行動できる吉岡秀人さんは

本当に神様そのものです。

吉岡秀人(医師)の結婚した妻や子供は?

前述したように、開腹を伴う外科手術が

できるようにならないと助けられる人に

限界があると考え、

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日本に帰国したという吉岡秀人さん。

そんな中で出会ったのが、当時医学生だった

という今の奥さんだそうです。

岡山の病院に勤務していた頃に、

上司である医師にある女性との結婚をすすめられ、

その女性を食事に誘ったら

たまたま隣にいたのが

今の奥さんだったそうです。

上司にすすめられた女性ではなく

その隣にいた友人とトントン拍子に結婚した

という吉岡秀人さん。

そんな漫画のようなこともあるんですね。

とてもお忙しい吉岡秀人さんなので、

ミャンマーの方とご結婚されたのかと

思い行きや、こんな衝撃のエピソードを知り、

驚きました。

そして「当時医学生だった」ということは

奥さんも医師ということになります。

調べてみると、吉岡秀人さんの奥さんは

吉岡春菜さんという方で、

小児科医をされているそうです。

そして現在は吉岡秀人さんと一緒に

ジャパンハートの理事をされ、

小児癌と向き合う子供や家族の

支援をされているそうです。

ご夫婦で一緒に発展途上国で

医療活動をされているとは、

とても素敵ですね。

そして吉岡さんご夫妻の間には

2人のお子さんもいるようです。

2018年現在は、

13歳と11歳になっていると思われます。

2人とも男の子のようなので、

ご両親のように世界で活躍するような

医師になるのでしょうか。

お子さんの将来も楽しみですね。

吉岡秀人(医師)の名言とは?

数々の名言を残していることでも

有名な吉岡秀人さん。

その中でも代表的なものについて紹介していきます。

一番素敵だと感じたのは、

「僕はずっと、医療は一期一会と思って

やってきたんです。その出会いに

すべてのエネルギーをかけなければならない。

この子を見捨てて、明日からの医療に

意味があるのだろうか。

目の前にいるこの子に、自分ができる限りの

医療をするべきじゃないか。」

https://www.huffingtonpost.jp/2015/05/29/yoshioka-hideto-conference_n_7466196.html?ncid=other_huffpostre_pqylmel2bk8&utm_campaign=related_articles

という名言です。

医療関係のお仕事をされたことの

ある方なら、

かなり響く言葉じゃないでしょうか?

さらに自分のお子さんにも名言を!

吉岡秀人さんの長男が小学生の時に、

毎日がおもしろくないと言ったので、

なぜそう思うのか、聞いても長男は

わからないと答えたところ、

「自分の才能や実力より下のことをしているからだ」

とおっしゃったそうです。

確かに・・・。

日本を離れ、無償でボランティア活動とまでは

行かなくとも、

自分で出来る最大限の努力や行動は自分でしなければ

面白いことなんて自然に出てこないですよね。

他にも吉岡秀人さんの名言はこちらの

書籍になって発売されていました!

自分が貯めたお金で1日でも長く、

1人でも多く医療を届けようと頑張っていた

という吉岡秀人さんに、

命を救われた患者さんは世界で

数え切れないほどたくさんいるでしょう。

医療は患者のためにあると

言われてはいるものの、

なかなかそうはいかないことが

多いですよね。

自分が理想とする、

正しいと思う医療をやらなければならない

と思ったという理由で、全財産をつぎこみ、

ジャパンハートというNGO団体まで

立ち上げた吉岡秀人さん。

患者の人生を真摯に考え、

丁寧に扱って治療することをモットーに

活動しているこの団体は、

吉岡秀人さんのポリシーに賛同する

スタッフが数多く集まり、

既に延べ3千人以上の医師や看護師がボ

ランティアとして参加しているそうで、

行った治療は15万件を超えると言います。

そんな吉岡秀人さんの情熱が

良く伝わる本がこちら!

自分の人生についても考えさせられる内容になっていておすすめです。

吉岡秀人(医師)の収入や生活費はどこから?

吉岡秀人さんは無給で医療活動をしています。

吉岡秀人さん本人も含め、

奥さんやお子さんたちの生活費、収入源は

どこからなのでしょうか?

調べたところ、確かな情報は

ありませんでした。

恐らくですが、

上記の書籍の印税ですとか、

日本へ帰国した際の公演活動やTV出演の報酬

などが主な収入なのかもしれません。

医療活動に関しては寄付などの

協力を得て運営しているそうです。

自分では直接現地で活動できなくとも、

寄付と言う形で、発展途上の子供たちの

医療支援ができます。

ジャパンハート
名称
(認定)特定非営利活動法人
ジャパンハート

所在地
〒110-0016
東京都台東区台東1-33-6
セントオフィス秋葉原10階

電話番号
03-6240-1564

設立年月日
平成20年11月28日

ジャパンハートHP

ジャパンハートへの寄付のページ

まとめ

小さい頃から人のために何かをしたい

という意思を持っていた吉岡秀人さん。

大分大学医学部を卒業後、

救急病院に勤務した後は、

平成7年からミャンマーでの

医療活動に従事し、

念願だった発展途上国での医療に

携わることができました。

平成16年にはNGO団体

「ジャパンハート」を設立し、

現在は最高顧問を務めています。

吉岡秀人さんの活動は発展途上国での

医療支援にとどまらず、

教育支援や視覚障害者自立支援、

東日本大震災の被災地での

緊急医療支援など多岐にわたるそうです。

団体の代表として多くの医療関係者を

ミャンマーなどの東南アジアへ

送り込むとともに、

自ら医師として現場に立ち、

病に苦しむ子供たちへ医療を

届けてきた吉岡秀人さん。

そのポリシーはとても素敵で、

吉岡秀人さんは神様のように思えますね^^

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