三角和雄医師の年収と経歴は?大学や病院の場所と医師になった理由は?

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2018年3月22日放送のカンブリア宮殿【すご腕ドクターSP】に

予約不要の優しい心臓治療医師として、三角和雄(みすみ かずお)医師が

出演されます。

千葉西総合病院に勤務する三角和雄

体に優しい「心臓カテーテル治療」で日本一の症例数を誇るすご腕の医師なのだそうですね!

出身高校や大学、勤務先の病院などを調べてみました!

三角和雄医師の年齢や出身などのプロフィールは?

三角和雄

https://medical.jiji.com/

名前   三角和雄(みすみ かずお)
生年月日 1957年11月20日(60歳)
出身   大阪府大阪市
趣味   スキューバーダイビング・将棋(6段)筋トレ

三角和雄医師は、

祖父の経営するプラスチック加工会社に勤める技術職の父、

専業主婦の母の次男として生まれました。

四つ上の兄がいたため、「次は女の子」と期待されていたようですが、

残念ながら男の子・・・。

親戚や近所の人がみんな、女の子を期待していたそうで、

名前も女の子用しか用意しておらず、

とりあえず、

父親の利雄、
母親の和子

から一文字ずつを取ったにわか仕立てで和雄になったそうです。

ちょっと気の毒ですね・・。

父親は浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)を卒業後、

エンジニア一筋で典型的な昔かたぎの人だったようで、

家庭をほとんど顧みないタイプでした。

母親は教育熱心で、兄弟は大阪学芸大学(現・大阪教育大学)の

付属幼稚園から高校まで一貫校に通ったそうです。

お兄さんは『英雄』という名前で、

三角家の英雄だからと、小学校の頃から塾・家庭教師と色々期待されていたようです。

一方、弟の三角和雄医師は結構ほったらかしだったそうです。

下の子あるあるですね(笑)

でも親に言われなくてもコツコツ勉強して、「出来る子」だったようです。

趣味の将棋は小学校時代に始め、

大学時代にアマ4段に昇格するほどの腕前。

現在はアマ6段まで昇格したそうです!

将棋界のスターになった羽生善治棋士が子どもだった頃に対戦した経験もあるそうですね!

将棋で鍛えた「考える力」は、医師人生に大いに役立っているそうです。

三角和雄医師の経歴は?

1982年 東京医科歯科大学医学部医学科 卒業
1982年 東京医科歯科大学医学部第三内科勤務
1983年 国家公務員共済組合連合会横浜南共済病院第一内科勤務
1984年 東京医科歯科大学医学部第三内科勤務
1985年 イリノイ大学医学部シカゴ校留学(心臓血管病理)
1987年 ニューヨーク医科大学リンカーンメディカルセンター内科レジデント
1988年 カリフォルニア大学ディヴィス校神経内科レジデント
1990年 ピッツバーグ大学メディカルセンター内科レジデント
1991年 カリフォルニア大学アーヴァイン校心臓内科クリニカル・フェロー
1993年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校
グッド・サマリタン病院心臓内科クリニカル・フェロー
1996年 ハワイ大学医学部内科(循環器部門)臨床系助教授・開業
1998年 医療法人社団木下会 千葉西総合病院心臓センター長
循環器科主任部長(ハワイ大学臨床系助教授併任)
2000年 医療法人社団木下会 千葉西総合病院 副院長
2004年 医療法人社団木下会 千葉西総合病院 院長

https://medicalnote.jp/doctors/150613-000002-HZMOHM

1982年 東京医科歯科大学 長尾幽学術奨励賞受賞
2009年 日本赤十字社金色有功賞受賞
2010年 紺綬褒章
2012年 紺綬褒章
ベストドクターズ

https://medicalnote.jp/doctors/150613-000002-HZMOHM

ベストドクターズは、

米国のベストドクターズ社が「医師に信頼されている医師」として選出します。

医師に対して

「もし、自分や大切な人が、自分の専門分野の病気にかかった場合、

自分以外の誰に治療を委ねるか」という観点から、

他の医師についての評価を伺い、

一定以上の評価を得た医師を名医(Best Doctors)に認定するというものです。

三角和雄医師が医師を目指した理由は?

佐藤栄作さんに憧れて、

東大法学部に行って、大蔵省主計局長になって国会議員になって

いずれは総理大臣になろうと思っていたという三角和雄医師。

しかし、

小学2年のときに運動会から帰宅すると、

急に熱が出て、40度を超える高熱が1週間続き、入院生活に。

溶血性連鎖球菌という細菌感染が原因で起こるリウマチ熱だったそうです。

今では、検査ですぐに診断され、抗生剤の服用で怖くない病気ですが、

昔は重症になることもあったようですね。

栄養は点滴だけという入院生活は、かなりつらいものだったそうです。

この時の主治医の先生が大阪で人気の先生で、常に患者さんが集まる先生だったそうで、

父方の祖父ががんで亡くなったこともあって、

小学6年の時には医師になることを決めたそうです。

すごいのは、

1か月の入院にもかかわらず、その後のテストがほとんど100点だったこと!

入院中も勉強してたそうですが、

独学でも満点って、天才ですね!

三角和雄医師の高校と大学時代は?

医学部に行くなら、

幼稚園から高校までの一貫校で友達が多く、

入院した小児科の医師の出身大学でもあった地元の大阪大学と決めていた三角和雄医師。

成績優秀だったので、合格は難しいことではなかったはずでしたが、

受験1カ月前に右目が見えなくなる災難に見舞われたそうです。

病院に行くと、

原因不明の眼底出血をしており、すぐに入院して検査を受けた方がいいと言われます。

片目では試験問題を読むにも不自由で、計算スピードも落ちてしまい、

順当なら合格確実と言われた大阪大医学部の受験は、失敗に終わってしまいます。

http://blog.livedoor.jp/misumi_kazuo/archives/835078.html

大阪大だけではなく、東京医科歯科大にも出願していた三角和雄医師。

大阪大と偏差値は同等でしたが、

倍率が50倍以上と高いので、浪人する覚悟で、

医学部受験専門予備校を先に受験していたそうです。

ところが不思議なことに、東京医科歯科大の受験日直前に、

ほとんど見えなかった右目の視力が回復!!

この時の試験がまたスゴイ!

「入学試験はやってみたら結構できたんですよ。
物理も化学も満点だと思ったし、数学も満点。世界史は1個間違えただけ。
英語、国語もよくできた。
倍率が高いから受かる可能性は低いけれど、
あれで落ちるんだったら仕方ないと開き直った気持ちでいました」

すごくないですか?

医学部の受験で満点って・・。

わたしのような凡人には到達できない世界です・・。

結果は見事合格!

すぐに東京医科歯科大の入学手続きを取り、

東京での生活が始まりました。

異国と感じる程の東京と大阪との文化の違いに戸惑ったという三角医師。

必須のドイツ語(第二外国語)の他、

フランス語、ロシア語、ラテン語なども勉強したそうです。

学校はちょこちょこ休んではいたそうですが、大学を優秀な成績で卒業。

小学2年でリウマチ熱にかかったことをきっかけに、医師への道を志したので、

専門は小児科と決めていましたが、

医学部6年時に米国フィラデルフィア小児病院循環器科で受けた

夏期研修で目指す方向が変わります。

http://www.jmnn.jp/archives/29346

治療に用いるカテーテルを発明したことで知られる、

故ウィリアム・ラシュキンド教授に直接指導を受けたことがきっかけだったようです。

「これからは身体的にも経済的にも、患者に優しいカテーテル治療が医療の主流になる」

と確信した三角医師は、帰国後、再び最先端技術が学べるアメリカに留学。

しかし、

指導医の中には

「有色人種は嫌いだ」

「外国人に高い評価はつけない」

「推薦状の内容を悪くする」

という外国人もいたそうですが、

三角和雄医師は腕を磨き実力をつけて、競争に勝ち良いポジションを次つぎにつかみました。

理不尽な対応に負けないためには、

誰の目にも明らかな揺るぎない実力を身につけるしかなかった。

という三角和雄医師。

米国で自ら手掛けたカテーテル治療のすべての症例は、

ノートに克明に記録しているそうで、

どう対応したのか、

1例1例の経験を一つも無駄にしないようコツコツと書きためた13冊のノートは

今でも院長室に大切に保管しているそうです。

カテーテル治療のすごさとは?

カテーテル治療が行われる前、冠動脈治療は、

全身麻酔で心臓バイパス手術を行うしかなく、

胸に大きくメスを入れ、肋骨(ろっこつ)を切開するため、術後回復に時間がかかりました。

それに比べて、

心臓カテーテル治療は、

手首の動脈から直径1.7ミリの細い管(カテーテル)を挿入し、

心臓の周囲を取り巻く冠状動脈まで到達させ、

狭くなったり詰まったりした血管内腔を風船(バルーン)で膨らませて拡大。

網目状の金属製筒(ステント)を血管内に留置し、血管が再び狭くなるのを防ぐことができるのだそうです。

カテーテル手術は入院期間が開胸手術に比べて短く、費用も100万円ほど安いそうです。

三角和雄医師が最も得意とするのは、

ロータブレーターといわれる先端にダイヤモンド粒子が組み込まれたドリルを使った治療。

手掛けたロータブレーター治療の症例数は約5000例だそうです!

「石のように硬くなった血管を広げるには、
より硬いもので削るしかありません。

石より硬いのはダイヤモンドなので、ドリルの先端にダイヤモンドの粒子をまぶしてあるロータブレーターを高速回転(1分間23万回)させ、硬くなった血管の壁を少しずつ削っていきます」

血管は石のように固くなったもので詰まるんですね!

そして血管の内側の壁をドリルで削るって・・・!

もの凄い技術ですね!!

技術を習得するには、10年以上はかかるそうです。

三角和雄医師が千葉西総合病院に来たのはなぜ?

ハワイで3年程開業医として働いていたころに、

高齢の母親が肝硬変になり、

自分の子供たちの事も考えて、

日本に戻ることにした三角和雄医師。

三角氏が一番力を入れていたロータブレーターを使用するための環境が整っているのが、

千葉県松戸市の千葉西総合病院だったそうです。

当時の妻の実家の船橋市も近いということもあり、

1998年、同病院で働くことに決めたそうです。

ところが、ふたを開けてみると、

米国で最高水準の医療現場で働いた三角氏にとって、

1998年当時の千葉西総合病院の状況は受け入れ難かった状況だったそうです。

「モチベーションが高くない医師が多かったし、研修医を育てる大切さを知っている人もいなかった。びっくりでしたね。人に教えようと思えば、自分も常に勉強しなければならない。日々の診療だけでは日進月歩の医学についていけないんです」

一から改革するために、行動を開始した三角和雄医師。

将来性のある研修医を集めるため、徳洲会が開く研修医説明会に乗り込み、

『僕がちゃんと教えるから』
『その他大勢になるより、突き抜ける存在になる方がいい』

と、ストーカーのようにほぼ毎日、勧誘の電話をしてたのだといいます。

もの凄い有名な先生から電話が来たら、断れないですよね・・・(笑)

米国帰りの医師に診療科を問わず、

専門医育成、医師以外の職種育成にも取り組んだことで、

強い抵抗もあったそうで、

「三角を辞めさせなければ、俺たちが辞める」と10人以上の医師が直訴します。

結局、医師4、5人を残し、大半が病院を辞めたそうです。

さぞかし大変なストレスだったかと思いきや、

「もっと大事なことがあります。
他の医師がどう言おうと関係ないです。評価は患者さんが決める」

と言い切る三角和雄医師。

着任2年後には副院長、さらに4年後の46歳のときに院長に就任。

患者の数は増え続け、

千葉西総合病院は2011年に心臓カテーテル治療の件数で日本一に躍進しました。

三角和雄医師のカテーテル手術は?

心臓カテーテル治療は一刻を争い、

順番を待っている間に患者さんが亡くなることを無くすため、

同時進行で進めていかないといけなという三角和雄医師。

安全性を保ちながらできるギリギリの数が6室なんだそうです。

千葉西総合病院のカテーテルスタジオは、

すべてがガラス張りで、

進行中の手術の様子はレントゲンの画像や心電図とともに

壁面のモニターに大きく映し出されます。

そして、

一段高い位置に設置された司令塔から、治療のすべてが見渡せるそうです。

「宇宙戦艦ヤマト」をイメージして設計したのだそうですね。

https://medical.jiji.com/

各スタジオのチームは医師や看護師、臨床工学技士ら8人。

三角和雄医師の元で働く看護師は、医師と同じ位の知識をもっているんだそうです。

全員がインカムマイクで三角和雄医師の指示を共有しながら

モニター画面にも目を向けて治療を行います。

治療中はX線で血管とカテーテルを透視しながら行うため、

被ばくしないようスタッフ全員が防護服を着用。

鉛のエックス線遮蔽(しゃへい)材が使われ、1着当たり4、5キロの重さ!

きっと、立っているだけで疲れますね!

三角和雄医師の家族は?嫁(妻)や子供は?

調べた所、三角和雄医師は、一度離婚され、再婚されているようです。

1998年に、お子さんの事を考えて日本に帰国されているとのことで、

離婚はその後だったのかもしれません。

息子さんが二人いるとのことですが、

医師なのかどうかは不明です。

世界トップレベルの医師が父親とは、自慢ですね^^

三角和雄医師の年収は?

多い日には1日40件以上もカテーテル治療をされ、

毎朝9時から外来診療を始め、終わるのが午後5時で、

カテーテル治療はそれから開始するので、深夜まで及ぶことも多いそうです。

さらに、

治療以外にも院長としての仕事や自身の勉強や若手の育成指導など、

仕事がたくさんありそうですね!

東京医科歯科大学臨床教授と、

千葉西総合病院病院長と心臓センター長を兼務するようになった

三角和雄医師。

それぞれの仕事に加え、メディア出演料なども合わせると、

年収4000~5000万円くらいはありそうです。

個人的には、海外からも認められる程の腕を持ち、

育成にも注力されているので、年収はもっと上でもいいと思います。

三角和雄医師の病院は?

三角和雄医師が率いる心臓カテーテルチームがある病院は、

千葉西総合病院です。

https://medicalnote.jp/

千葉西総合病院

千葉県松戸市金ケ作107-1

新京成電鉄新京成線「常盤平」駅 北口 シャトルバスの運行あり 徒歩6分

TEL: 047-384-8111

http://www.chibanishi-hp.or.jp/

まとめ

院長であり、教授でもあるのですが、

外来診察と心臓カテーテル治療は年間3000件以上と、フルに活動されている三角和雄医師。

いつ休んでいるのか心配になるほどです。

このような方がいるおかげで、救われる命があるのですね。

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