長純一医師の年収や大学と診療所の場所は?地域医療医を目指した理由は?

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2018年3月12日の「プロフェッショナル 仕事の流儀」では、

「地域医療医師」の長純一(ちょう じゅんいち)さんが特集されます。

復興の陰で苦しむ人々に寄り添う日々を送る長純一さんが務める

石巻仮説診療所の場所や大学や家族のことについて調べてみました。

東日本大震災後、長野県から移住し、仮設の診療所の所長を務める長純一さん。

被災地では震災の辛い経験で心に傷を負うPTSDや、

生活不安などからアルコール依存症となる患者が今なお少なくないそうです。

長純一さんの年齢や出身等のプロフィールは?

名前:長純一(ちょう じゅんいち)
生年月日:1966年
年齢:52-53歳
出身:東京都
職業:石巻市立病院開成仮診療所 所長・内科部長
過去の勤務先:佐久総合病院(長野県佐久市臼田)
高校:奈良高等学校
大学:信州大学医学部

長純一さんは、東京で生まれの関西育ちで、

高校は奈良県の奈良高等学校を卒業されています。

奈良県の公立高校の中ではトップ校で、偏差値71と、

私立の学校を入れて総合でも奈良県で5番目くらいの

レベルの高い高校です。

大学は信州大学の医学部を卒業されています。

医師を目指したのは、日本のへき地や途上国など、

場所を問わず困難を抱えている方の支援をしたいと考えたためなんだそうです。

その後は、計19年間、佐久総合病院(長野県佐久市)に籍を置きましたが、

そのうち3年間を東京の健和会、11年間は附属の診療所にいたので、

佐久総合病院にいたのは5年程なのだそうです。

元々宮城県外で診療されていた長純一さんが、

宮城県石巻市に来た理由はなんだったのでしょうか?

長純一さんが石巻仮診療所で働く理由は?

長純一さんが石巻診療所で働くのは、

勤務していた長野県の佐久総合病院の名誉院長で、

故・若月俊一医師の影響が大きいのだそうです。

若月俊一医師は「地域医療の父」と称される医師で、

戦後の貧しい農村での医療活動に生涯をささげたそうです。

日本のへき地、医療に恵まれない地域で医療に取り組むと同時に、

こうした地域の問題を解決する医療者を育てることを目指していた若月俊一医師。

佐久総合病院は医療の過疎地である東北の地域医療問題と、

それに取り組む医師の育成に取り組んでいたのですね。

一方、長純一さんは、

信州大学医学部入学後は社会医学や地域医療系の文献を探しては読みあさり、

本で知った先生方に手紙を書いたり、会いに行ったりしたそうです。

自分が思う「医療」を探し続けている中で、

「医療の民主化・患者中心の医療」を積極的に行っている先生方に影響を与えているのが、

長野県佐久総合病院の若月俊一先生ということにたどり着きます。

若月先生については、浪人時代に読んだ本で知っていたそうですが、

直接教えを乞いたいと思い、初期研修先を佐久総合病院に決めたんだそうですね!

まさに、若月俊一医師の弟子なのです。

若月俊一医師の取り組みを受け継いだ長純一さんは、

2011年の震災後、

阪神・淡路大震災の支援などにも関わった経験から、

震災後、急性期ではなく、その後の方がずっと大変なのは分かっていたこと、

医療ではなく、保健、住宅政策、コミュニティづくりなどが問題になってきたことから、

佐久総合病院で培った地域医療の診療のスキルを活かすべく、

最大の被災地である宮城県石巻市の仮設住宅内にて医療支援活動を始めます。

さらに、

ここで在宅医療や保健活動のノウハウを持った医療者を育成することや、

そしてここで学んだ医師が他の地域、へき地、被災地などにいくことが

可能ではないかと考えたのが、ここに診療所を作ってもらった理由なんだそうです。

ずっと先のことも見越しての、被災地でに活動だったのですね!

長純一さんがこのように行動するのは、

「社会の状況を把握して、そのニーズに応えられる医師、医療者を育てたい」

というのと、

地域医療、へき地医療、社会的弱者への医療に興味を持ったり、

出身地に貢献したいと考える医学生や若い医師は確実にいるようですが、

今の医学部教育、医師養成の中では、

そうした教育研修に取り組んでいるところはほとんどないからなのだそうです。

長純一さんは、

臨床教授という肩書きで、1年生を対象に東北大学へ講義に行ったほか、

被災地実習ということで医学生が診療所に土日曜日を使い、話を聞きに来た医学生もいるそうです。

こうして普段の診療の傍らで、

地域医療医を目指す若い医師を育てているんですね!

長純一さんの研修医時代は?

長純一先生は、研修医時代に阪神大震災があったのですが、

この時にも現場に向かい、

被災され仮設住宅にすむ住民のケアをされていたそうです。

地域医療、とくに地方の地域では、医療がみんなにしっかり行き届かず、なにか問題がおきても治療するため医療にかからない人もいるようです。

これは地方だとそもそも住んでる人が少なく、

まずは病院や診療所の医療の環境が少ないということ。

そして、人が少ないことによりコミュニケーションが少なくなるため、

そもそも医療に関する情報がまわらなかったりすることが関係している現状があるようです。

山間部に暮らす高齢の方もいます。

そのような方たちに対して、情報を提供し、支援することが重要なのだそうです。

長純一医師の石巻診療所の場所は?

2012年5月に、被災した市立病院の仮診療所という位置づけで、

仮設住宅群の中に、被災者支援目的で設立された「石巻市立病院開成仮診療所」。

開設当初より、外来のみならず、被災者への保健活動を重視し、

さらに市内全域での在宅医療にも取り組んでいるそうです。

被災者支援とともに、

この事業を通じ、少しでも石巻の医療・介護連携が促進され、

将来の地域包括ケア体制確立につながる取り組みに高めていきたいと考えているそうです!

具体的な場所は、

〒986-0031 宮城県石巻市南境字新小堤25番地1
電話番号:0225-23-3200
FAX:0225-23-7833

【診療内容】 内科一般

【診療日】  月・木・金曜日 午前8時30分 ~ 午前11時30分

【休診日】  火・水・土・日曜日、祝日、年末年始

仮設住宅の中に建てられたことが重要で、

ここで、在宅医療のスキルを持った医師を育成し、

仮設住宅が無くなっても在宅医療に切り替えて地域の人々を見ていけるのだそうです。

地域医療医の年収は?

一般的に診療所に勤務する医師の年収は、

40代では勤続年数が長くなり、

通常の勤務とは別に役職に就き、後輩の指導や勤務方針について検討する立場になるため、

必然的に年収も上がるといわれています。

長純一さんは、石巻市立病院の中の「開成診療所所長」という位置づけなので、

院長と言う肩書にすると、

気になる年収は1500万円~1800万円と予想します。

もっとも、収入ではなく、地域に貢献し、未来を担う若手医師を育成すると考える

長純一医師は収入はあまり気にしていないかもしれませんね。

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