鈴木徳昭はサッカーオフト監督通訳!五輪誘致の経緯や今現在の会社や職業と年収は?

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石原良純の同級生、
鈴木徳昭(すずきとくあき)さんは、

“ドーハの悲劇”時代の
日本代表オフト監督の通訳で、

そして今現在は、何と2020年の
東京五輪決定の歴史的瞬間に立ち会い、
東京五輪誘致において
大活躍されました!

鈴木徳昭さんはどんな経歴の方なのでしょう。
五輪誘致に関わった経緯や今現在の
仕事などについても
調べてみました!

鈴木徳昭さんの大学や年齢などのプロフィール!

https://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20121116/spo1211160712003-n1.htm

名前  :鈴木徳昭(すずきとくあき)
生年月日:1961年12月3日
年齢  :56歳
大学  :慶應義塾大学

石原良純さんとは中学校の時の
同級生だった鈴木さん。

石原良純さんが小・中・高・大と慶応一筋だったので、
鈴木徳昭さんもその可能性が高そうですね

きっと裕福な家庭だったのではないでしょうか?

父親は往年の日本代表選手、
お兄さんはFC東京強化部長の経歴を持ち、
鈴木徳昭さん本人も慶応大学サッカー部で
活躍されたサッカー一家です!

鈴木徳昭さんは石原良純の同級生で経歴は?

鈴木徳昭さんは、慶応義塾大学のご出身で、

1984年、大学卒業後に
日産自動車株式会社に入社。

1993年10月までサッカー部の運営を担当でした。

2008年12月まで日本サッカー協会に在籍し、
ドーハの悲劇で当時監督だった
ハンス・オフト監督の通訳として活躍。

国際サッカー連盟(FIFA)に派遣され、
2002年の日韓ワールドカップ開催に
エネルギーを注ぎました。

2006年にアジアサッカー連盟に派遣され、

現在では、東京招致委員会の戦略広報部長
として就任し、
2020年の東京オリンピック招致に携わりました。

サッカーの選手ではなく、
裏方で盛り上げる役のお仕事をしていたのですね!

しかも、東京オリンピックの招致にも
携わっていたいたとは石原良純さんもビックリですね!

鈴木徳昭さんのサッカーオフト監督の通訳時代!

ドーハの悲劇で通訳をしていた鈴木徳昭さん。
なぜ通訳をに抜擢されたのでしょうか。

調べたところによると、
語学力が長けていたことにより
日本サッカー協会の目に留まり抜擢されたそうです。

中学時代にサッカー部で
サッカーについて詳しい方でもあることも
抜擢理由になりそうです。

驚くべきは、
語学は留学されていたわけではなく、

独学!!

高校大学で学んだだけであとは独学でということで、
頭の良い方であり、努力家で、
何より、外国人と会話が出来るという
度胸がある方なのでしょう。

鈴木徳昭さんは周りからは
オフト監督の「コフト」と
呼ばれていたそうです(笑)

恰幅の良いオフト監督ではなく、
鈴木徳昭さんが指示をだしているので、
小さなオフトの意味ですね。

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マスコミからのインタビューやプレス対応にも、
言葉に気を使い、マスコミを敵に回さないような対応を
オフト監督の指示のもとにおこなったそうです。

鈴木徳昭さんはオフト監督、
日本代表を陰から支えていた方なんです!

鈴木徳昭さんは「ドーハの悲劇」を陰の
日本代表として支えてきました。
選手と同じ位、サッカーを愛しているんです!

ドーハの悲劇でオフト監督の通訳をしていた鈴木徳昭さん。
悔しかったでしょうね・・・。

ドーハの悲劇とは知っている方も
多いかもしれませんが、
一体何か調べてみました!

ドーハの悲劇とは?

1994年に開催された
アメリカワールドカップのアジア予選にて、
最終戦はカタールの首都である
「ドーハ」のスタジオで開催されました。

そこで、イラクと対戦し2-2の同点となり
予選敗退してしまったのです。

この試合に日本代表が勝てば、
初のW杯出場という大事な一戦!

試合は日本2点×イラク1点で
誰もが日本の勝利とW杯出場を疑いませんでした。

しかし
ロスタイム(現在はアディショナルタイム)の時に、
イラクのコーナーキックからのセットプレイで、
イラクに得点が入ってしまい

Twitterより出典

同点になった瞬間に試合が終了!
最終戦のイラク戦で2-2と同点となり、
2位だったサウジアラビアと
3位だった韓国が勝利し、
日本は予選敗退となってしまいました。

それがドーハの悲劇と呼ばれるものです。

現在の日本では考えられませんよね。
前半は負けていたものの巻き返し、
ワールドカップ初出場まですぐそこ!

まさかの順位落ちで予選敗退
これは今だに語り継がれる日本サッカーの
歴史です。

2018年のワールドカップでは、
ベルギー戦でリードしながら残り12秒で
逆転されており、
これを、「ロストフの悲劇」と呼びました。

この時、鈴木さんはどう思ったのでしょうか?
日本中が「また・・・・!」と
ドーハの悲劇を思い出しましたね。

鈴木徳昭さんが東京五輪誘致に関わった経緯は?

鈴木徳昭さんは東京2020オリンピック競技大会
招致の戦略広報部長を務めていました。

「私はサッカーに育てていただきましたが、
日本のスポーツ文化がもっと発展してほしい。
招致が決まれば大会まで8年間、
予選なく全ての競技の強化ができるし、国際交流も増える」

「現場で活躍する日本人が増えていきますから、
スポーツの力で今の日本の閉塞(へいそく)感を
打破していきたい。招致活動で勝つことに全力を傾けていきます」

https://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20121116/spo1211160712003-n1.htm

サッカー愛、スポーツ愛からくる強い信念がそこには
ありました。

鈴木徳昭さんの今現在の会社の仕事は?

2020年の東京オリンピックの招致
のために仕事をされ、

滝川クリステルさんの「おもてなし」は有名に
なりましたし、

IOCの会長の「TOKYO!」
の発表がテレビで何度も報道されるほど、
盛り上がりました!

鈴木徳昭さんは2020年の東京での
オリンピック開催が決まった
2013年の9月に
広報戦略室部長職を退き

現在は日本サッカー協会で仕事をされています。

鈴木徳昭さんの年収は?

日本サッカー協会は日本を代表する組織ですので、
それなりに高い収入が見込めるようです。

会長の年収は2000~3000万円とも
いわれていますね。

鈴木徳昭さんはこれまでの実績からして、
職員平均よりは多いのではないでしょうか?

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