深イイ話に出演される、小林陽子さん。
小林陽子さんは、瀬戸内寂聴さんのお弟子さんであり、
徳島県で移住コーディネーターというお仕事をされています。
年齢を感じさせないキャラが
イイですね^^
小林陽子さんはどういう経緯で瀬戸内寂聴さんの
お弟子さんになられたのでしょう。
お坊さんのお弟子さんになるということは、
出家されているということなのでしょうか?
小林陽子さんが移住支援をされているのは、
故郷を愛する心からだと思いますが、
経歴を調べていくと、
とてもパワフルなカリスマ女性でした!
目次
小林陽子さんの年齢や出身などのプロフィールは?
https://tokushima-iju.jp/interview/414.html
生年 :1950年生まれ
年齢 :68歳
出身地 :徳島県日和佐(現・美波町)
大学 :関西の大学
職業 :移住コーディネーター
一般社団法人アンド・モア 代表理事
68歳ということですが、キャラが強めなので、
もう少し若いというイメージがあります。
以前の放送では徳島県の阿波踊りを披露されていましたね(笑)
小林陽子さんの経歴は?
小林陽子さんは、新聞販売店をされている
ご両親の元に産まれ、
徳島県の日和佐(現・美波町)で
高校卒業まで生まれ育ちました。
大学は
関西の大学へ通うようになり、
いったんは地元を離れます。
そのまま大阪で出会った男性と結婚され、
マンションで不自由なく暮らしていた
そうです。
ところが33歳の時に実家の
新聞販売店を継ぐために美波町に
戻ってきたところ、
驚くべき故郷の姿を目にしたのでした。
http://www.wikiwand.com/ja/美波町
それは、
人口減により徐々に衰退している地元の姿で、
都会暮らしに慣れてしまった陽子さんには、
とてもショックだったそうです。
自分の文化水準を保てる物や
気の合う友人がほとんどいなかったことですね。美術館も、コンサートも行けない。
スーパーへ行ってみても、調味料は胡椒ぐらいしか置いていない。次第に自分が「社会」から取り残されていくような
埋没感に陥りました。https://tokushima-iju.jp/interview/414.html
さらに、
戻った当初はどこへ行くにも
「どこ行くん?」
と声をかけられるなど、
ご近所付き合いにも戸惑ったこともありました。
小さいころは田舎の町が自分の世界の全てですが、
都会の暮らしに慣れて、たまに帰省すると、
田舎がとても遅れているという感覚になりますね。
とても安心するのですが、
何だか恥ずかしいような・・・・。
でもすごく大切な場所ですよね。
自分が育った場所が廃れていく姿を見るのは
辛かったのでしょう、
これでは益々衰退の一途を辿るだけと
危機感を感じた小林陽子さんは、
誰に頼まれるわけでもなく、
一人で移住支援を始めたそうです。
空き家の交渉や店舗設計など、
すべてボランティアで行ってきました!
現在は2015年2月に発足した
一般社団法人『アンド・モア』の代表理事として、
海部郡美波町を活動拠点に、
移住促進・支援を目的とした空き家活用事業、
地域情報の発信などを行っています。
小林陽子の移住コーディネーターとは?
小林陽子さんは
美波町役場から正式に移住コーディネーター
「ウェルかめコーディネーター」の委託を受けてます。
新聞販売店で培った情報網を使って移住支援を行っているんですね。
移住後も定住されるまでサポートしてくれる活動をされています。
始めはボランティアで始めたこの活動は
今までで約200人以上も美波町に移住されてます。
現在は美波町だけではなく、
徳島県の移住アドバイザーも兼任されている程
活動の幅が広がってます。
空き家を借りると家賃は月1万~3万円程
美波町では改修費に最大200万円の補助を出してくれるそうです。
(※年間6件まで、65歳未満、最低5年間住むこと)
移住してから困った時に助けてくれるような人間関係を構築するまで、
陽子さんがお手伝いしてくれます。
その為、定住率がなんと100%!
もの凄い地域貢献ですよこれは!!
どこぞの政治家よりも、
よっぽど優秀だと思います!
デメリットは、住人が少なく寂しい、
文化的な生活に欠けるところがあるというところですが、
定住率を見ると家賃が安い等の
メリットの方が多いのかと思います。
具体的にはどんな活動をされているのかと言うと、
移住して飲食店を始めた方がいらっしゃいました。
そのご夫婦には、
店舗となる空き家を紹介するところから始まり、料理の材料を仕入れるため、
一緒に漁協に頭を下げに行ったりもしました。お店がオープンしてからは、
経営がうまくいくか心配だったので、
毎日のように食べに行って、何キロも太ってしまいました(笑)https://tokushima-iju.jp/interview/414.html
ここまでしてくれるんですね!
最後の太ってしまう程毎日食べるのは、
あまりに一生懸命になりすぎる
小林陽子さんの性格なのでしょう^^
しかし、
この活動をされる小林陽子さん自身にも
苦労がありました。
2015年までの給与はなんと月3万円。
活動も次第に
移住相談に来る人が多すぎてきてしまいます。
相談に来られる方みんな生活にも困り、
小林さんの負担も大きくなってしまったそうです。
小林陽子さん一人ですから、
一人では大変ですよね!
それでもここまで続けていけたのは
Uターンで帰ってきた時の苦労を経験させたくないという
優しい心と、
地元が衰退していくことに危機感を感じた
故郷を愛する心が
小林陽子さんの中にあったということでしょう。
現在は、63歳の時に美波町役場に
事業委託されているので、
後進の育成も考えてのことでしょうね・。
小林陽子さんと瀬戸内寂聴さんの出会いは?
小林陽子さんと同じ、
徳島県出身の瀬戸内寂聴さんは、
故郷に恩返しがしたいという思いで
1981年、無償の『寂聴塾』を始めています。
その時の2期生だった生徒が、小林陽子さん。
このころは、
実家の家業を継ぐ為に徳島へ戻ると
関西圏の生活に慣れてしまい、
文化的な生活ができなく
心身共にふさぎこんでしまっていた時期で、
家業も人口減に伴う収入減により経営困難に。
心身共に疲れ、
一時期は自殺も考えた小林さんは
寂聴さんの私塾に通うにつれ回復され
現在は、移住コーディネーターとして
役場の委託として活動されているのだそうです。
それから現在までお2人の関係は
続いているんですね。
きっと、とても強い信頼関係で
結ばれているように思います。
そして、
小林陽子さんは、現在の職業をされる以前に、
瀬戸内寂聴さんの紹介により、
1996年から2012年までの17年間、
ウィーンの森バーデン市劇場の
日本公演の総合プロデュース業を
勤めていました。
https://tokushima-iju.jp/interview/414.html
オペラプロデューサーという
お仕事なんだそうですが、
家業の新聞販売店の傍ら
オペラプロデューサーとして全国を
飛び回り、
日本各地で延べ300公演を実施
したんだそうです!
具体的な仕事内容は、
ホールへの売り込み、スタッフや
道具の手配、公演のPRなどだそうです。
かなりの仕事量を一人でこなしていたんです!
お仕事上、トラブルが発生した時に、
速やかに問題解決するための、
交渉術や危険を察知する力も養われたという小林陽子さん。
そうした経験が今、
移住者との話し合いや、
希望者がこの地域でやっていけるかどうか、
察知することに生きているのだそうです。
さらに、
沖縄以外、全国各地で公演を行ったので、
出身地を聞いたらだいたいその町が分かるので、
「近くに○○があるでしょ」っていうと
「知ってるんですか⁉」
と初対面でもグッと距離が縮まり、
話がしやすくなるんだとか!
小林陽子の旦那や子供は?
小林陽子さんは関西の大学に通い、
大阪でご結婚されています。
33歳の時に実家を継ぐために
ご主人と一緒に地元に戻ったということですから、
33歳より前にご結婚されて
夫がいるということですね。
旦那さんについて触れている記事がないので、
職業などは不明でした。
一緒に田舎で家業を手伝ってくれていたと思われますので、
仲が良く、戦友のような関係かもしれませんね。
お子さんは何人なのかも気になりましたが、
情報はありませんでした。
もしかしたらお子さんは成人して、
小林陽子さんのお孫さんがいるかもしれませんが、
お子さんはいらっしゃらないかもしれません。
そこらへんは『深イイ』で判明するかもしれませんね^^
まとめ
とてもパワフルない人生を歩んでいる
小林陽子さん。
瀬戸内寂聴さんもスゴイ人生ですので、
自然とパワーあふれる人が集まるのでしょうか?
瀬戸内寂聴さんの秘書の瀬尾まなほさんも、
美人でいいキャラしてますね^^
瀬尾まなほの実家の家族と大学は?年収や本と驚きのエピソードとは?