2018年2月16日放送のA-Studioに騎手の「武 豊」さんが出演し、
父である武邦彦さんについて語っています。
武豊さんは4人兄弟で知られていますが、他の兄弟はどんな方なのでしょうか?
また、
名騎手だったという武邦彦さんの経歴や成績が気になったので調べてみました!
目次
武邦彦さんのプロフィールは?
https://mainichi.jp/articles/20160812/k00/00e/050/272000c
生年月日: 1938年10月20日
出身: 北海道函館
死亡: 2016年8月12日, 滋賀県 栗東市(享年77歳)
子供: 武豊(三男) 武幸四郎(四男)
武豊さんといえば、
競馬ファンじゃなくても知っている日本を代表するジョッキーです。
その武豊さんの父である武邦彦さんも日本を代表する名騎手だったのですね。
また、
騎手の身長はおおよそ150~170cmの間ですので、
平均すると160cmくらいでは?と思います。
武邦彦さんは
騎手としては172㎝の長身で、
端正な顔立ちで当時としては珍しく女性人気も高かったようですね。
ちなみに息子さんの武豊さんは170㎝、
武幸四郎さんは177㎝でした。
武邦彦の経歴や成績は?
騎手時代
武邦彦さん自身もジョッキーとして1960年代から1980年代に活躍されており、
通算では1163勝も挙げた名騎手でした。
重賞80勝で、
「名人」、「ターフの魔術師」等の異名を取り、
関係者やファンの間では「タケクニ」、「邦ちゃん」の愛称で親しまれたそうです。
調教師として
調教師としては、
1987年に栗東トレーニングセンターに厩舎を開業。武豊さんも騎手デビューされます。
1989-1990年度JRA賞最優秀スプリンターのバンブーメモリー、
1999年度同最優秀3歳 (現2歳) 牡馬のメジロベイリーなどを管理し、
2009年に70歳定年制により調教師も引退されています。
最後の勝利は4男、武幸四郎騎乗のエーシンウォーマンだったそうです。
調教師では375勝をあげています。
評論家として
調教師引退後は、競馬評論家・解説者としてスポーツ新聞紙上での執筆や、
テレビ出演活動を行っていました。
武邦彦さんの家族は?
武邦彦さんの妻は、洋子さん。
お子さんは4人いらっしゃるようですね。
長男 武伸(のぼる)さん
以前は競馬関係のフリーライターをされていましたが、
2000年、覚せい剤取締法違反で逮捕され、現在は競馬関係の仕事はしていないようです。
運動神経もよく、元々は騎手志望だったようですが、父・邦彦さんが反対します。
それは、長男・伸さんが騎手としては体格が大きすぎたことと、
邦彦さんのライバル騎手であった福永洋一さんの落馬をリアルタイムで目撃し、
後遺症が残ったことが要因だといわれています。
自分の息子にはこんな危険なことをさせたくないと思ったのでしょうね。
三男の武豊さんが超有名騎手になったことに対するやるせなさから、
覚醒剤に手を染めてしまったのではないかと噂されているようですね。
次男 武克己さん
次男の克己さんは、
競馬関係の仕事にはついておらず、全くの一般人として暮らしているようです。
三男 武豊さん
現在の競馬界の名騎手として、競馬ファンならずとも、有名ですね。
騎手としてデビュー当時は、「武邦彦の息子」としてみられるのが嫌だったそうで、
いつか、「武豊の父」と逆転したいと思っていたそうです。
今ではその通りになりましたね。
勝利数3900勝以上、獲得賞金770億円、
京都に豪邸を所有し、奥様は元アイドルの佐野量子さん。
セレブ生活を送っていることでしょう。
佐野量子さんの記事はこちら!
佐野量子の今現在の画像と年齢は?子供がいない理由と豪邸でのセレブ生活とは?
父である武邦彦さんも1163勝されていますから、200億くらいの獲得賞金がありそうです。
過去には、フリーキャスターの美馬玲子と不倫しているという報道や、
ダルビッシュ有の元夫人である紗栄子や吉高由里子、さとう珠緒といった芸能人、
元体操選手の田中理恵やモデルなど、数多くの女性との関係がささやかれてきたようですが、
子供がいないけれど離婚しなかったのは、奥様の度量によるものでしょうか?
http://keiba-news.tv/articles/wpNv7
四男 幸四郎さん
父や兄と同じく、騎手としてJRA最多勝利新人騎手を受賞するなど活躍。
2016年2月に引退し、調教師になられます。
2011年、飲食店で食事をとっていたところ、
居合わせた別の客の男とトラブルとなり、顔などを殴られるなどの暴行を受け、
左顎を骨折する重傷を負い、4か月間休養していたそうですね。
長男の逮捕に四男の傷害事件、
さらには、2003年、いとこである武勇氏が経営する北海道の武牧場で、
その武勇氏が惨殺される事件が起きているようで、
武邦彦さんの晩年は事件が多く、心休まる時が少なかったかもしれません。
武邦彦さんの死因は肺がんだった!
2016年の8月に、肺がんのため、武邦彦さんは天国に旅立ちました。
ヘビースモーカーという情報はありませんが、
酒豪で有名で、お酒が原因で吐血もしたという噂もあるようです。
普段、冷静沈着で表情を変えない武豊さんも、
さすがに父との別れの場では声を詰まらせ、
「春から体調を崩し始め、それからは入退院を繰り返していました。また何事もなかったかのように、ひょうひょうと元気な姿で戻って来てくれると願っていましたが、それも叶わぬものとなってしまいました」
と涙ながらに話していました。
覚悟はしていたものの、やはり、辛かったのでしょう。
偉大な先輩騎手として尊敬していたと共に、
プライベートでは父として優しく育ててもらったそうですね。
武邦彦さんは、
武豊さんの活躍に対し、
「巧く乗ったけど、レコードで勝てる馬なら私だって勝てますよ」
「俺は騎手時代にあまり乗らなくても1000勝以上挙げている。
今のように乗り数が多ければ3000勝しているよ」
「俺だって今の時代に乗ってれば豊よりモテてる」
と発言。
息子に対するライバル心もありますが、
一方で、
「豊はうまく乗っているよ」と語って息子を労っており、
武豊さんの中央競馬通算最多勝更新時と、
武幸四郎さんの通算500勝達成時には、それぞれの表彰式で自ら花束を手渡すなど、
息子さんの成長を誰よりも喜んでいたことでしょう。
武邦彦さんの現役騎手時代の動画!
中央競馬の歴史上、最高の名勝負とも言われる1977年、第22回の有馬記念。
トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスの3頭の激突は今見ても鳥肌が立つような衝撃のレースと言われています。
特にトウショウボーイとテンポイントがスタートからゴールまで2頭並んでそのまま決着するなど、現代の競馬では有り無いレース展開なのだそうです。
この時のトウショウボーイの鞍上が武邦彦さんです。
まとめ
武豊騎手が騎乗停止中だったため、
父・邦彦さんとの別れを受け入れる時間的余裕はあったようです。
競馬界に偉大な功績をのこして下さった
武邦彦氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
武豊の嫁で元アイドルの佐野量子の記事はこちら!
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