花谷泰広(はなたにやすひろ)さんは登山家で、
これまでの登山経歴では様々な山に
登頂されています。
「グッと!スポーツ」に出演された
花谷泰広さんは、
まだ誰も登ったことがない世界の未踏峰や
未踏破ルートを幾つも攻略している、
山男の中の山男でありながら、
スマートなイケメンとしても
人気が高いそうです。
そんな花谷泰広さんの登山家としての経歴や
結婚した妻などの私生活について、
そして同じく登山家として活動されていた
栗城史多さんとの関係性についても紹介していきます。
花谷泰広の年齢や高校大学などのプロフィールは?
https://ja-jp.facebook.com/YasuhiroHanatani.Official/
生年月日:1976年8月6日
年齢 :42歳
出身地 :兵庫県神戸市
出身高校:兵庫県立神戸高校
出身大学:信州大学教育学部
花谷泰広の経歴は?
兵庫県神戸市出身の花谷泰広さんは、
幼少の頃から地元兵庫県にある六甲山に登り、
登山に親しんでいたそうです。
神戸では六甲山や摩耶山など
近くに山が多いことから、
登山をする人口も多く、
親や祖父母などと一緒に子供も登山を
始めるケースも多いそうです。
神戸高校在学中に山岳部として本格的に
登山活動を始めた花谷泰広さんは、
高校卒業後は登山部の活動が盛んな
信州大学に進学。
教育学部では野外教育を専攻しながら
信州大学山岳会に入会し、
さらに登山の技術を磨いてきました。
信州大学山岳部として活動をする中で
着実に登山の経験を積み重ねてきた
花谷泰広さんは、
ついに1996年の信州大学在学中時に、
ネパール・ヒマラヤの
ラトナチュリ峰(7035m)登頂に成功。
それ以来も、1999年春 には
アメリカのマッキンリー(6194m)登頂、
夏には
ペルーのアルパマヨ(5947m)や
ピスコ(5800m)、
チョピカルキ(6354m)、
ワスカラン(6768m)に
単独登頂も果たしています。
そして2000年春にはネパールの
ガネシュヒマールⅡ峰(7111m)にも
登頂したりと、
足繁くヒマラヤ等の海外登山を実践してきました。
そして大学卒業後にはさらに高みを目指し、
2006年インドヒマラヤのメルー中央峰
(通称シャークスフィン)第2登、
2009年のネムジュン(7140m)西壁
初登攀を果たし、
第21回ピオレドール賞、
第8回ピオレドールアジア賞を受賞しています。
そしてさらに2012年の
キャシャール峰(6770m)南ピラー初登攀
に成功した功績が評価され、
登山界のアカデミー賞ともいわれる
フランスのピオレドール(黄金のピッケル)賞
を受賞しています。
登山界のアカデミー賞を受賞するとは、
花谷泰広さんはとてつもなくすごい人なのですね。
2013年に受賞した「登山界のアカデミー賞」は、
ピオレドールは
世界の優れた登山家に贈られる国際的な賞で
主催はフランスの登山誌など
この賞は「登山界のアカデミー賞」とも言われています
もの凄く名誉ある賞なんですね。
ちなみに賞金があるのかと思いましたが、
ピオレドールに賞金はないそうです・・・。
記念品?として、
黄金のピッケル(つるはし)がもらえるのですが、
日本に持ち帰るときは航空運賃の
追加料金が発生するほど重いそうです。
話が逸れましたが、
趣味で登山をする人も増えてきていますが、
登山はリスクがつきもので、
危険を伴う状況になることも多いと言われています。
そんな危険と隣り合わせの登山を、
ここまで極められる人はなかなかいないですよね。
ちなみに兵庫県にある神戸高校の偏差値は
71~77と言われており、
兵庫県の公立高校ではトップに位置する高校です。
私立高校を入れた兵庫県内全ての高校を含めても
、神戸高校はあの天下の灘高校に次ぐ
2位に位置する難関校のようです。
花谷泰広さんはかなり頭の良い方
だということがわかりますね!
登山においても体力だけではなく、
様々な気候条件などを想定し、
安全なルートを研究したり、
その時の環境に応じて臨機応変に対応する
能力が求められているので、
やはりかなり頭を使うことが想定されます。
かなりの難関校を卒業されている
花谷泰広さんはその頭脳を生かして、
まだ誰も登ったことがない
世界の未踏峰や未踏破ルートを
幾つも攻略することができるのでしょう。
そして花谷泰広さんは自身も登山家として
沢山の山に登る傍ら、
信州大学卒業後には自身の経験を生かして
富士山で登山ガイドを開始し、
沢山の人に登山を楽しんでもらうために尽力しました。
そして花谷泰広さんは富士吉田市公認の
富士山登山案内人として、
10年間富士山と関わってきたそうです。
そして2015年からは
若手登山家養成プロジェクト
「ヒマラヤキャンプ」を開始し、
次世代の登山者たちとヒマラヤ登山を通じた
「若手登山家の養成」に取り組んでいます。
そんな花谷泰広さんは、
「昔は大学山岳部や社会人山岳会など、
登山経験を積む場がありました。しかし、この20年で登山者の形態が多様化し、
若い人は山岳会などに入りたがらず、組織の縮小、高齢化が進み、技術の伝承が
途絶え始めています。
そこに危機感を感じ、やるなら今だと直感しました」
https://www.sankei.com/region/news/160212/rgn1602120021-n1.html
と若手登山家の育成を始めた
動機について語ってきます。
この言葉を聞くと、
花谷泰広さんは向上心だけでなく、
自身の技術を後輩たちに伝えていきたい
という使命感に満ちあふれた
素晴らしい方であることがわかります。
そして登山は山頂に立つのがすべてではなく、
頂上へ至る過程がすごく大事だと
語っている花谷泰広さん。
若手養成のヒマラヤキャンプも、
目指すのは未踏峰か未踏ルートだということで、
若手登山家たちにはかなりの
困難な道のりであることが伺えます。
しかしこうした経験を積むことで
着実に力がついてくるのでしょう。
花谷泰広さんの教えを受けて
今後若手登山家たちが沢山育成され、
日本を代表する登山家たちが
台頭してくるのが今から楽しみになりますね。
花谷泰広は結婚して妻や子供はいる?
爽やかイケメンと人気の高い花谷泰広さんは、
私生活ではご結婚されているのでしょうか。
ネットで調べてみると、
花谷泰広さんの私生活についての
情報がほとんどないことがわかりました。
登山家として様々なメディアで
取り上げられているものの、
芸能人ではないため、やはり私生活に
ついてはわかっていない部分が多いようです。
しかし調べてみると、
こんな記事が見つかりました。
信大山岳会OBでつくる信大学士山岳会の
遠征隊第1チームが14日、
ヒムルンヒマール(7126m)に
未踏ルートから登頂した。衛星電話で信濃毎日新聞社に連絡が入った。
ともに山岳ガイドの角谷道弘さんと
花谷泰広さん、花谷さんの妻裕子さんも
15日に登頂を目指す。
https://www8.shinmai.co.jp/yama/article.php?id=YAMA20091015010901
この記事は2009年の10月15日のもの。
「花谷泰広さんの妻裕子」さん
という記載がありますね。
ということは、花谷泰広さんは
ご結婚されているようです。
そして信州大学山岳会OBで結成されている
信大学士山岳会の登山に同行されている
ということは、
同じ信州大学の後輩ということでしょうか。
花谷泰広さんの6歳年下の
奥様である裕子さんは、
部活関係で出会ったとみて間違いなさそうですね。
登山部ということなのできっと
アクティブな女性なのでしょう。
そして花谷泰広さんと一緒に
ヒマラヤ登山までできるやり手の女性となれば、
なかなかの経験値と技術の持ち主である
とみて間違いないでしょう。
きっと話も合うでしょうね。
お子さんもいらっしゃるようですね。
きっと楽しい結婚生活を送っていることでしょう。
花谷泰広さんの奥様にもお会いしてみたいものです。
花谷泰広の年収は?
登山家の花谷泰広さんですが、
実は登山家としての活動だけではありません。
前述したように、
若手登山家養成プロジェクト
「ヒマラヤキャンプ」を主宰し、
さらに、
イベントや講演会で山の魅力を
伝える活躍もされています。
そして、
2017年から甲斐駒ヶ岳黒戸尾根の
七丈小屋の運営をされ、
現在はオーダーメイドガイド
「First Ascent」の主宰者として、
山梨県北杜市をベースに
山岳ガイドもされてるそうです!
花谷泰広さんは登山家兼ガイドも
されてる貴重な方なんですって!
現役の登山家の方がガイドされることは
あまりないようですので、
人気がありそうですね!
登山家としては、
特に収入はないようですので、
(むしろ登頂旅費などに莫大な金額がかかる)
花谷泰広さんの収入としては、
おもにガイドのお仕事がメインなのではないでしょうか?
ちなみにガイド料はこちら!
■ マンツーマンでお申し込みの場合
お1人様 40000円(税別)/1日■ お2人でお申し込みの場合
お1人様 30000円(税別)/1日http://first-ascent.net/about
ガイドのお仕事も中々大変なようで、
キャンセルなどもあり、苦労するところもあるようです・・。
天候理由でのキャンセルとか、途中で体調が悪くなったりで引き返すのは仕方ない。でも当日現地ドタキャンとか他の小屋との予約のかけ持ちとか、登山道の中でも厳しいと言われている黒戸尾根を目指す登山者がそんなんでいいの?
— 花谷 泰広 (@hana1976) 2018年7月21日
また、
この会社「First Ascent」のHPには、
スポンサーも掲載されていますので、
登頂費などはこちらからも助成されているのかも
しれませんね。
花谷泰広と栗城史多との関係は?
花谷泰広さんと同じく、
登山家として活動していた
栗城史多さんですが、
度々ニュースにもなっていたこともあるので、
ご存知の方も多いのではないでしょうか。
栗城史多さんは1人で自らを撮影しながら登り、
その様子をインターネットで配信する登山家です。
酸素ボンベに頼らず単独無酸素で登頂するという、
かなりのチャレンジャーである栗城史多さんは、
2012年のエベレスト挑戦で
手の指9本を凍傷で失ったことでも
ニュースで取り上げられています。
しかしそんな逆境に負けず、
たった1本の指になっても再びエベレストに
戻ってきたという栗城史多さん。
そんな栗城史多さんは凍傷で指を失った翌年、
復帰を目指す中で花谷泰広さんに
訓練を頼み込んだそうです。
花谷泰広さんは栗城史多さんと一緒に、
同じ山を1日に何度も登り、
指のない手に頼らないバランスのよい
歩き方を体に叩き込めるように練習を重ねました。
花谷泰広さんのレクチャーのおかげで、
栗城史多さんはその半年後には
ヒマラヤの8000m峰に挑戦し、
登頂に成功しています。
その時の花谷泰広さんのアドバイスが
素晴らしいと反響を呼びました。
「登れなくてもいい、
帰ってこなければ意味がない。
山を見るのではなく、自分を見て登れ」
とアドバイスをしたという花谷泰広さん。
沢山の山を登り、
数々の困難を乗り越えてきたからこそ、
言える言葉ですよね。
とても重みのある言葉です。
こうしてお互いに支え合える関係というのも
素敵ですよね。
しかし、栗城史多さんは、
2018年5月に8度目となる
エベレスト登山中に体調を崩して登頂を断念。
下山中の同月21日にキャンプ3から
下山中に滑落死し、大きなニュースになりました。
https://a-sounanda.com/kuriki-nobukazu
まとめ
まだ誰も登ったことがない世界の未踏峰や
未踏破ルートを幾つも攻略している、
山男の中の山男である登山家の花谷泰広さん。
信州大学山岳部として活動をする中で着実に
登山の経験を積み重ね、
登山界のアカデミー賞ともいわれる
フランスのピオレドール賞を受賞している
花谷泰広さんは、まさに登山界の
レジェンドといっても過言ではないでしょう。
今後ますますの活躍が期待できそうですね^^